三年前からずっと、
心が動くと、死にたくなってしまう。
それは夕焼けだったり朝焼けだったり
はたまた音楽だったり。
感動すると死にたくなるから、
今風に言えばエモいと死にたくなるらしい。
心が体から飛び出てしまった心地になって、
左の前のほうに行ってしまった気分になる。
なにかに熱中していたり
体が不調なときはあまり死にたくならない。
だから、
自分を傷つけてしまうのだろう。
傷つけたときは、
体が不調なときと一緒だから。
無駄にたくさん薬を飲んだこともある。
ざくざくに腕を切ったこともある。
薬を酒で飲んでみたりもした。
首も締めてみた。
そうやって、生きてきた。
今、僕は死にたくなっているけれど、
明日も仕事があるし、再来月に遊ぶ予定だってある。
でも、電車が隣を通る度に
飛び込んでみても良いんじゃないかって思う。
線路を通るとき、目の前で踏切が閉まったら
飛び込もうと思って毎日生きている。
飛び込むために線路を通っている。
明日も僕は生きているけれど、
生きたいわけではないよ。
死んでしまいたいから、
明日も生きるの。
名前のない小瓶
79327通目の宛名のないメール
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ななしさん
気持ちとてもわかります。
今しがた、同じように綺麗な夕日を見て思ったところです。
死にたくなるのもまた一興、人生だなと思ってとりあえず生きています。
あなたの投稿に出会えてよかったです。
ななしさん
感動するとしなたくなるのわかります。
私は綺麗なものを見ると喉がキュッとなって泣きそうになって生きてる意味がわからなくなって死にたくなります。
ななしさん
気持ちがよく分かります。車で移動している時間帯が夕暮れ時くらいでなんて事ないんです。なのに綺麗な夕焼けを見ると深く感動し、心が躍るような気持ちとともに悲しくもなり死にたくもなります。
不思議とこのまま、スーッと死ねるような気持ちになるんです。
この先どうなっていくのか先の見通しも分からない。ただ、頑張って生きている日々が何のために、誰のためにかと問われると分からない。
生きることに必死で心底楽しめていないのかもしれない、先の目標もなくただ、ただルーティン化した毎日を生きているからなのか。
綺麗な夕焼けに吸い込まれるようにして死ねれば幸せだろうな。と思っている間にしだいに夜になり、我に返ってしまいます。そして、そこから今という時が始まり現実に戻されるような気持ちになります。
こんな感情が何からくるのか。自分でも分かりません。
私も生きていることに目標も楽しみもなく、生きることに何の執着も意味もなく生きている。
でも、自分から死ぬことは選ばないし、出来ない。終わりはいつかくるから、それまで生きる。その日まで頑張ると思って生きなくてはと思っている。
だから今を生き、明日を生きていけているのかもしれない。そう思いつつ頑張って生き、明日を迎えていることはすごいことであり、頑張っている証ではないだろうかと思います。
夕焼けを見て、同じような気持ちになる方がいるなんて思ってもいませんでした。
自分は一体なんなのだろうと自問自答していたところでしたので、同じ感性の人がいることに安心することができたというか。
この投稿を見て良かったです。
ななしさん
電車にダイブしようとは思わんけど、夕焼け見ると死にたくなるよ。
みなさまありがとういい人生でしたって。
満足しちゃうのね。この先のいいことなんか何もいらないし、このささやかも大きな感動を最後にしたいのです。
楽しみな予定もあるけど、美しい夕焼けとか音楽がこれが貴方の最後ですって言ってくれたらそっちに行ってしまうわ。
ななしさん
感動すると死にたくなるのか。なぜだ。
普通は生きてて良かったと感謝しそうだけど。
「心が体から飛び出して左前に行ってしまう」
というのは少し分かる気がする。
最後の4行が深みのある言葉に感じた。
私はそういう境地に行ったことがないので、
その矛盾したような心境の意味が
分かりませんでしたが。
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