最近無理に笑うのはやめている。その代わり
面白い時は思いきり笑う。やってみると案外
大丈夫だなと思った。他人の目を気にして
無理に笑うのはバレているものだし一体誰に
とってメリットなのかそういえばよくわから
ない。それに不幸のどん底にいるような顔の
人も怒っている人も許せるようになった。
その方が楽だよねそれでいいよねって広い心
で流せる。昔簡単なカラーセラピーのやり方
を教えてもらったことがある。初めて自分で
考えたお題でカードを引いてみた。思い浮か
んだのは結婚。結果は純粋に戻ること。確信。
守るべきものがあること。つい結婚、子育て、
仕事、病気、事故などを人生の一大事として
捉えがちであるが、どんな選択をしたり(しな
かったり)何が起こった(起こらなかった)と
してもそれらを通して得られる学びに重点が
あるはずである。今回出た結果は人生において
学ぶべきこと、指針である。自分の身を削って
でも取り組みたいもの、その時に純粋でいら
れること。直観によって助けられること。
形式は関係ない。他人の幸せと自分の幸せ。
自分の幸せを考える時ノイズが入る。自分の
ことしか考えていない鈍感な人と言われたら
傷付く。自分が他人に対して日常的に感じて
いるからではないか。自分だけ高みから見下
ろすような考え方は良くない。ついやっている。
自分は誰よりも物事が見えていると思いたい。
大した傲慢さだ。逆にそれが私のプライドとも
言える。そこは最も誇りを感じていたい部分
なのかもしれない。愚かである。他人の幸せを
考える時、自分はいいことをしているという悦
に浸れる。だから自分の幸せである。ただ本当
に行動しようと思えば話は違う。不器用で未熟な
自分は苦しむし半ば無理だと諦めている。今の
自分の幸せとは他人の幸せを想像することで、
実行しないことである。
それとは別に大いなる自然と対面して溶け込み
たい戻りたいと感じる時や継続して取り組んで
いることで苦しい中に発見があった時、喜びを
感じる。いつも心が打ち砕かれている壁がある。
努力した結果を表に出そうとする時自分を守ろう
という意識が働いて引き下がってしまうこと。
これがなかなか直らない。何故だろう。成功経験
がないから?臆病者?勇気というのを出すしか
ないのだろうか。いつも弱腰。過去に頑張って
無理して壊れた経験があるからだろう。どんな
努力も方向性が間違っていれば残念ながら報われ
ない。同じ苦しみを味わせないために人前に出る
リスクがあればひれ伏してしまうのだろう。もう
大人。自分の努力が間違っていても他人から酷い
ことを言われても許すということを知った。いつ
でも許せるわけではない。大勢の前ではまだまだ
自分を許せなくなるし、他人の一言にグサッと傷
付くこともある。白黒付けようとしない。それは
私の仕業だけど。例えば歌を歌う時。歌っている
私を意識している時、白黒を必ず付けている。
上手いか下手か、どう思われたかを気にしている。
色々な願いも叶うか叶わないか、いつ叶うのか、
どうしたら叶うのかということをいつも考えて
いる。答えはno side。私がどう歌ったかでは
ない。音が楽しんでいるかであるし、私が願いを
叶えたかどうかではなく願いが実現されるまでに
どんな過程があってどう実を結んだかということ
が物事のありのままである。観念をつらつら述べた
所で自分の心はいじけるばかりである。やっぱり
褒められたい認められたい。存在は初めから完全に
許されていると知っても一方で満たされない思いは
消えない。どうしたらいいんだろう。ここで自分で
満たそうと思わない所に病がある。素直でない。
純粋でない。ここまでズタズタに傷付けられて
おいて傷付けた相手(自分)を満たしてあげようなど
とは全く思わない。それも素直な感情だから否定
する理由はない、ただしここで相手を許そうと
してみる。お前は肝心な所で何の役にも立たない。
気を紛らせる相手にもならない。幸せから遠ざけ
られる。いらない存在。よく能々と生きていられる。
酷いことを言われても。そう、その裏側には寂しさ
や悔しさがあることが今ならよく分かる。抱き
しめてあげたい。ごめんね。たくさん頑張って
くれてありがとう。いつも助かっているよ。あなた
にはいつも大切なことを教えてもらっているよ。
ありがとう。尊敬しています。愛しているよ。
本当は美味しいものを食べて何気ない会話をする
ことが一番の幸せなのに。どこに忘れて来て
しまったんだろう。でもそれが大切だと分かる
まで私はこの寂しさや悔しさを味わい続けるん
だろう。もう幸せになっていいんじゃない?
まだ苦しむ?あなたに任せるよ。