【寂しいはどこからやって来るのか】
誰かが仲間と集って楽しそうにしているのを見た時、
自分は誰からも必要とされていないような、見捨て
られたような気持ちがする。元々自分の中にその
ような無価値感が存在しており、子供の頃親の期待
に応えようと一生懸命努力した名残である。他人に
喜ばれることをすると価値のある善人で、喜ばれ
なければ無価値な悪人という極端な価値観がこびり
付いている。後者を強く感じる時、これが寂しさ、
孤独感である。
【孤独が癒される時】
孤独感が蓄積してくると発散する必要が出て来る。
その時言いたいことを誰かに話したり、スポーツや
音楽や芸術などに感動したり没頭したりすることで
一時的に解消されることが多い。では根本的な解消
とは何か。本心と見栄(他人からよく思われたい)の
葛藤を解消することではないか。社会人、大人、
正義、善などという区別がこの見栄を引き起こして
いる。統治者が人間としての在り方(秩序)を掲げて
下々の者が従い秩序を乱す者には罰や屈辱を与える。
その結果として罪悪感や見栄が生まれる。一方で
秩序がなければ国民の統一性がなくなり戦争が起き
かねない。秩序を守らなければならないというより、
争いがなくなる世界を目指せばよいのである。
孤独を乗り越えるメソッドとは、秩序は平和のために
あることを知らず、秩序に反することは悪だという
偏見から起こる罪悪感や見栄を、平和を守る意識と
共に手放し、本心(死ぬまでに何を遂げたいか)を
実行することである。それは幸せと同義だと私は
信じる。