とある投稿がきっかけで、私はここで何をしたいのか?
何を伝えたいのか?
迷いが出来、暫く離れていました。
私がここを知ったのは、この歳になってもまだ面倒事に巻き込まれ、周りの対応に絶望し、その拠り所を求めて…でした。
私には娘が一人いて、今は会うことは出来ません。
同じ年頃の子どもたちの思いや叫びを読むうち、こんな自分にも何か出来たらとサポーターになり、拙いながらも想いを綴り、小瓶を流してきました。
今の私のしんどさを隠したのは、大人になっても人生は辛いことばかりなのでは…と思わせてしまうのではと躊躇したからです。
結果、それが自分の首を絞めることになり、そんな私が流した小瓶とは一体何なのか、分からなくなっていったのです。
こういう面倒臭いとこは、昔と変わってないので、我ながら情けないやら、恥ずかしいやら……
私は今、今月2日に開催予定だったイベントが、コロナウイルスのために中止となってしまいましたが、来春にまたと要請があったので、その準備を始めています。
鬼が笑いますね。
でも、1年かけて準備するのですから、コロナのせいで、我慢に我慢を重ねている子どもたちに、最高の思い出を作ってあげたいと、好きなことを好きなようにやってます。
こんな言葉があります。
『大人は何者でもなく、その尊厳は無意味です』
テレビをつけっぱなしにしながら、ちまちまと作業していると、卒業間近の7人の生徒が、それぞれの思いを語り合う番組が始まりました。
「大人が考えているように、子どもだって考えている」
生徒の一人の言葉が印象に残り、先の言葉を思い出し、私の悩みを打ち砕いてくれました。
生きとし生けるもの、大人も子どもも言葉としての表現でしかなく、私はみんなより長く生きてきたから、ほんの少し知っていることが多いだけ。
大人だから上に立ってふんぞり返るのは、傲慢でしかなく、幾つになろうと変わりはないのです。
だから……
私は今、パニック障害になって以来、細くなってしまった道を恐る恐る、ちょっとずつ幾度も立ち止まりながら進んでます。
そんな私の希望は、子どもたちの笑顔であり、私の手で笑顔にしたいのです。
来春、その夢を叶えるために頑張ります。