疼痛を我慢しろと宣った口で、
「県外にも病院を探しに行こうや」
と言う
痛みを代わってあげたいと嘯いた口で、
「やる気がないから治療しないのね」
と言う
腫瘍が再発したから何度も手術をした、強い薬で前後不覚になったし四六時中吐いた
自傷癖を我慢しているのに、副作用の一つに挙げられていた自殺企図が頭から離れなくなった
そうこうしているうちに、粗方の痛み止めを試し終わっていた
これ以上他に手を出すと、ガンなどで使える薬がなくなると釘を刺されている
神経ブロックを打ちまくってもはや効かない、体操療法をしようにも立つことがまず辛い
断続的な強い痛みで目が覚める、仰臥できないから肩が痛い
それでもようやく、短くとも眠れるようになった
…10年も経てば、疼痛への諦めと付き合い方は嫌でも理解できる
たくさんのお医者さんが『痛みの破局的思考』や自律神経失調症を持ち出してきたけれど、私は違和感しか覚えなかった
癒着した部分を引っ剥がしたことによる疼痛、再発している腫瘍で圧迫された神経系のおかげでときどき痙攣する程度だ
天気が悪いと特に瘢痕が疼くから、まさに『古傷が痛む』という状態である
痛くない、のがどれだけ得難いかよく知っている
痛みはどうにかしたいが治療は放り投げたいとは我ながら救えない
けれど、冒頭の言葉と、
『痛いと言われても困る』
『気合いがあれば痛みも腫瘍もどうにかなる』
なんて両親からは聞きたくなかったなと思う
あぁ疼痛の性質の悪さよ、死ぬまでの付き合いだ
せめて茶化さなければ笑えもしない