ないものはない。
もともとないものをのぞむのはどうしようもないことなのかもしれない。
自分にはないのに他人にはある。それが許せない人間だから、人を憎んだり疎ましく思ってしまうのかもしれない。
ほんとうは誰のことも攻撃したくない。
自分を攻撃してくる誰かに反撃したいと言う感情はもってはならないものだろう。
私は確かに間違えてしまったかもしれない。ほんの数ヵ月のことだった。でもその数ヵ月のことを一年たった今もひたすら責められて攻撃し続けてくるのに意味はあるのか。
彼に不快な思いをさせたかもしれない。でも彼はそのことを責めながら私に同じことをし続ける。その事の意味はいったいなんなのか。同じことをしているのに、同じことをやってしまったことについて責める権利はあるのだろうか。
周りの人間も、私だけがすべての悪のように扱うが、その行為、陰口、嘲笑は悪ではないのか。
私は初めて彼に私の罪を指摘された日から、罪を償う行いをしてきたつもりだった。授業の予習をきちんと行い予習をしてこなかった人間にそれを共有し、テスト前に教科書を忘れた者には私はいいからと言い教科書を貸し、部活に早くいき清掃を行い、誰かがやらなくてはならないのに誰もやらないことを替わりにし、一クラス二人いるはずの委員会の仕事を私一人で行わなければならなかったりした。私はそれらをきちんと行ったつもりだった。罪の償いのつもりだった。
彼等は私が失敗する度にそれを罪に加えていき責め立てた。
彼等は私が償う度にその償いに見向きもしなかった。
彼等は私と言う悪を討伐さえできれば良かった。
所詮、価値のない人間に価値を見いだすことはしないのだ。
ドブの中にダイヤモンドを探し求めないのと同じこと。
どうすれば私は納得できるのか。どうすれば彼等のことを気にせずにやっていけるのか。