精神科の薬なんて飲んでたら就活できない、クスリをやめろ、と親が言う。精神病は鍼治療で治る、と親は言う。正直、親は騙されているのだと思う。
昔から親はうさんくさい精神医療に騙されていることが多かった。受験期に親に散々罵倒されて滅入っていると、NAVERまとめの「ストレス脳」なる記事をプリントして渡してきた。「気分転換が下手だからこんなことになったんだ」という罵倒が付いてきた。
今思えば中学生の時から大学受験の勉強をさせられていた環境は異常だったと思う。とにかく親の学歴コンプレックスは凄まじいものだった。父親は大卒だが、母親は高卒だ。最近になって両親がかなり異常な人間だったのだと気づいた。
とにかくテストの点数が悪ければ「お前なんてトラックの運チャンにしかなれない」とか、「非正規雇用は生きていけない」とか、とにか他人を見下した論調で人を語ることが多かった。
大学二年の時に自殺未遂をして、そのままカウンセラーにそのことを告げたら精神科に連れて行かれた。親にも連絡が行った。
精神科のクスリを飲むな、と時々連絡が来る。クスリをやめたら病気が治るわけではない、と告げたらクスリを四年間も飲み続けるのは長い、自分は詳しくないけれど鍼治療で治る、精神科に通っていることはマイナスになる、と説教される。
精神科なんていかないに越したことはない。当然だ。クスリだって飲まなくて済むなら飲まない方がよい。だからと言って今すぐやめられるものではない。自殺衝動をクスリで治めている状態でクスリをやめたら、自分は生きていけない。
どうして自分が自分は死ぬべきだと考えているのかはこの小瓶には書かない。ただ、精神疾患の中でもかなり珍しい病気に罹ってしまったらしい。非定型精神病というらしい。詳しい情報がない。何百人か、何千人か、ひょっとしたら何万人に一人くらいの病気なのかも知れない。人口当たりの発症割合のような情報もない。
クスリは長く飲み続けることになるのだと思う。仕方が無いと自分は割り切っているけれど、どうやら親はそうではない。
親は常に親自身の劣等感を私に重ねてきた。私は親の一つの作品のように思われている。作品が精神科のクスリを飲んでいるなんて、親は耐えられないんだろうな、と思う。
カウンセラーは「自分の人生を生きて行けたらいいね」という。当然の事だ。
こうも言った。「言語は通じるのに言葉が通じない人はいる。それが親だったらなおさら辛いだろうね」。
私の親は私の可愛がっていた犬を殺した。何故かそのことを思い出せないまま育った。大学生になって思い出して、格闘技を学んだ。ボクシング、テコンドー、少林寺拳法。その犬の敵を討って、全身の骨を折って便所に監禁して、残飯を食わせて飼うのだと考えていた血の気の多い時期もあった。
今はそうは思わない。少なくともカウンセラーと保健室の先生はそんなことをしたら私を叱るだろう。殺された犬も喜ばない。
その計画をカウンセラーに語ったことがあった。「法的にそれはまずいんじゃないか」と言われた。
「なら片腕くらいは折りたいです」とカウンセラーに言ったら、「それでもやり過ぎ」の答えが返ってきた。
「じゃあ前歯全部折ります」と言ったらカウンセラーは無言だった。自分でも馬鹿なやりとりをしたものだと思う。
少なくとも親が潔白だとは思わない。私の精神病は遺伝と育った環境によって発症するという。少なくともあまり人には話せないような劣悪な家庭で育ったのだとカウンセラーとのやりとりで知った。
家庭内の虐待は罪にはならない。虐待が脳の発達に悪影響を与えるとか、家庭内のストレスで脳が萎縮するとか、研究結果が示すのは、「虐待されたお前が悪い」という、加害者が得をする世界だ。
フロイトは「原因より未来に目を向けるべき」と語り、アドラーは「トラウマは存在しない」という。残念ながら心理学も被虐待児を救ってはくれない。一人で強くなるしかない。虐待は遺伝するという。一人で強くなって虐待が子供世代に連鎖しても、心理学は「原因より未来に目を向けるべき」「トラウマは存在しない」と心理学は語るのだろう。
おそらく私が年を取っても、世間は精神病院のことを「気狂い病院」と呼ぶだろう。障害者雇用は正規雇用に比べて賃金は低いままだろう。虐待者の「あなたの為を思って」という言い分が認められて、被虐待児は精神疾患を患っても自費で精神病院に通い、「精神科の通院歴あり」で就職は厳しいのだろう。
このサイトは虐待被害にあった人を多く抱えていて、同情してくれる人間の層もある程度確保している。
この小瓶をここまで読んだあなたもひょっとすると少しは同情してくれているのかもしれない。あるいはここに到達する前に甘えだと切り捨ててサイトを閉じたかも知れない。
残念だけれど、世間は精神疾患への理解は殆ど無い。精神疾患は隠し通して生きるしかない。
ただただ空しい。こんな人生を歩みたくない。調べれば調べるほど、頭を回して考えるほど、自分は損しかしていないのだという現実を突きつけてくる。
帰りたい。帰れる場所なんてないのに、帰りたい。
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ななしさん
私は読んで、
《今はそうは思わない。少なくともカウンセラーと保健室の先生はそんなことをしたら私を叱るだろう。殺された犬も喜ばない。
この文章で、あなたはちゃんと分かってると思った。
復讐に何の意味もない。
復讐と言う言葉を借りて同じ事するなら
復讐相手と同じ底辺に落ちてしまう
でもあなたは大丈夫
私は抗うつ剤のんでいますが、
合わないなら病院を変えて、合ってるならちゃんと続ければいいですよ
ななしさん
本当の痛みの周りを、ぐるぐる回っているんですね。
それを表現しようにも、他にどうしようもなくて。
どこかに帰れる、というのは、人が幸せであるための最低条件だという気がします。
フロイトは結局自分の知り得た幼児への性虐待を隠蔽し、患者を裏切って当時の社会規範に迎合する道を選んだのですから、ひたすら未来を見るより他にどうしようもなかったでしょうね。
彼が晩年、どの部位の癌に侵されたのかは、実に象徴的で興味深い暗示かもしれません。
彼が裏切ったのは、かつての患者であると同時に、自分自身の幼少期でもあったと思われます。
彼は自身の親に苦しめられた経験を持つにも関わらず、自らが打ち出した理論で親の側の悪意や過失や加害性を矮小化することに極端なまでに成功し、子どもの言い分や感じ方は歪曲したり無視したりしてもいいのだと、生涯その口で言い続けたも同じなのですから。
まるで気がつかずにいたのならまだしも、誰よりも早く隠された幼児虐待という真実に近い場所に到達し、ほとんど探り当てていたというのに。
彼が社会的に成功する道を捨てて、幼少期の自分を救い、和解する道を選んでいたら、彼自身の晩年の苦痛はあれほど激しいものではなかったかもしれず、彼の生み出した優れた技法と比べて、どちらを惜しむべきなのか分からなくなります。
もちろん、これは単なる想像でしかありません。
それでも、人間の己への裏切りや欺瞞と身体的・心理的苦痛の関係性は、考慮するに値する重大事であることに変わりはないでしょうね。
嘘をつかずに生きられるなら、これほど平安な道はあり得ないほどだと、楽に想像できますから。
名前のない小瓶
虐待はされていませんが、家庭に小さなコンプレックスを持つものです。
最近就活を終えましたが、私も就活中は精神崩壊でクスリに頼りました。まぁ、副作用辛かったから1週間で辞めましたが。
性格や物の考え方は、育った環境や遺伝によるものだと思います。また、精神崩壊は、多方面のショックにより引き起こると思います。
つまり、あなたは何も悪くない。
ただ、家に帰っても居場所がないとか辛いとか思うなら、家族と会わない工夫をしないとですね。
私は部屋に篭ってました。
ななしさん
名前のない小瓶(匿名)
お返事は海を漂っている最中です
この文を読んでしかないけど、あなたの親に怒りを感じた。全然情報がない私でも、殴ってやりたいし、折ってやりたい。私もあなたほどではないけど、父に人生を狂わされた。誰も法で裁いてくれない。だから自分自身で裁くしかないと思ってた。私たちはけして狂ってなんかいない。狂ってるというなら、この世が狂わせたんだ。
トラウマは存在すると思う。
存在しないなら、私は何に囚われて、何に狂わされてうなされているのだろうと思ってしまう。考え方によるのかもしれないけど、私は存在すると思いたい。未来に目を向けて、進めということか。でも嫌でもチラつくことがあるし、そんなこと出来ていたらしているんだなと思ってしまう。
あなたが一生懸命がんばってやってきたこと、全てが報われますように。あなた自身が報われますように。
名前のない小瓶
同情というより、自分と似ているな、と思って最後まで読みました。
私の親兄弟も、言語は同じなのに話が通じない人たち、です。メンタルを病み、自殺願望が止まらず、命の危険があるので家族の助けを得るように、と医者に言われて相談にいきましたが、家族は誰も助けてくれないどころか、心底嫌そうな顔をして追い出しました。私も精神科を転々としましたが、一番長くお世話になったお医者からは型にはめられない鬱と言われ、最後には「現代医学ではあなたの病気は治せない」とさじを投げられました。それでもなお同じ薬を処方し続けるので、なぜかと聞いてもはっきりした答えを得られず、それ以来通院も薬も自分でやめました。
ほぼすべての医者で言われましたが、家族のあり方が異常だったことがメンタルを病んだ原因だと私自身思います。家族なんてなかなかよそと比べないから、自分の家のやり方がおかしいとしても気づけないんですよね。
薬を自分の意志だけでやめるのはおすすめはしません。私はしばらく禁断症状にさいなまれたし、10年近く経った今もやたらと体の緊張状態が続くのは、その後遺症かもしれないと思うからです。
そして強くなり一人で生きていくことも、おすすめはしませんが…でも他にどうしようもないですよね、他人が頼りにならず、自分で死ぬのもばかばかしいと思うのなら。
でも人におすすめはできなくとも、私は自分の決断を後悔はしていません。よく考えた末に自分で下した決断なら、それ以外の道を選びようがなかったということです。それが「自分の人生を生きること」なのかもしれません。
メンタルを病んだことは人には基本的に話しません。不愉快な事態を招くことが多いからです。たまに話してもいいと思える相手がいますが、話してみるとたいてい本人もメンタルが病んでいるか、その経験者です。メンタルは経験がないとわからないし、経験があるものどうしは空気で察しがつくのかもしれません。
帰りたいという気持ちもすごくよくわかります。たぶん、本心から帰りたいと思える場所を持てなかった人たちは、みんな同じような苦しみと悲しさを抱えていると思います。
みんな違うけれど、少しは共感できる部分がお互いにある。それだけでよしとすべきなのかもしれません。
お互い、いずれ何かをつかめるといいですね。私ももうだいぶ疲れましたが、何かが見つかるまでは生きてみようと思っています。死ぬまで見つからなかったとしても、それはそれです。少なくともやれることはやったと、胸を張って死ねるでしょう。
ななしさん
『べてるの非「援助論」』面白かったわー。
あ、本です。
自分の世界観ぶっ飛ばされたわ。
『まともがゆれる』もよかった。
近頃こんな本ばかり読んでる。
精神を病んでいると言われる人から、本当の生き方を学ぶことがすごくある。自分を許したり、もっと楽になれる気がする。
キングテレサ
あなたには「自分の居場所」がありますよ!精神を病んだとしてもあなたは一人の「人間」です、幸せを掴む事だって出来ますよ!
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