地球はみんなは競いあわないと生きられない仕組みなのが疲れる。動物も植物も生き物はすべて他の命を糧にして生きてるよ。与えているか、奪われているか、もらっているか、奪っているか、それは人間の価値観の中の視点。減って増える、寝て起きる、つくってこわれる、生まれて死ぬ、ずっとその繰り返し。
考えたらわかる。ルールを作る人は強い。
気が付かなきゃ幸せ?都合よく導いてもいい?
楽しければいい?楽しめばいい?それもしんどい。
競い育つことは素晴らしいけれど、吸い上げるほうと吸い上げられるほうの差はどこにあるのだろう。
水源と海の水は違う。何が違うのだろう。自由はどちらにいても選べるけれど、その選択肢からは自由になれない。自由だけどすごく不自由。
自分という枠、家庭という枠、社会という枠、人間という枠、社会という枠、世界という枠、名前をつけたら枠ができる。わからないものを怖がって否定する人は、自分がその枠組みの中で特別に守られていると感じているか、自分が箱の中にいることに気づけないか。生きていたら必ずどこかで何かになっていく。
嬉しい、楽しい、悲しい、苦しい、つまらない、わからない、好き、嫌い、どれも面白いし素晴らしい。でもそれだけ。わからないが一番好きだけど、それだけ。刹那的だけど永遠で、何回周ってワン!って言ったらいいんだろうと思っている。
せっかくだから家族とは一緒に生きてから死のうと思っている。でも、新しい命を生み出したいとは思えない。楽しめる人はぜひ続けてほしいと思うけれど、わたしははやく解放されたい。
そうは思わない人もたくさんいるだろうから、この世界で自分にできることがあればベストを尽くそうと思う。生き方もそれなりに覚えた。良いとか悪いとかない。幸せでも不幸でもないから幸せ。
ただ、長いなぁ……。