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苦しい苦しい苦しい。死にたい。死ぬことしか考えられない。かまってちゃんかよ、軽く死にたいとか言うなって思われてる

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お返事が届いています

ななしさん

なんにもやる気がないって携帯いじれてるじゃない。メール打ててるじゃない。

大丈夫。あなたは死なない。

何か頑張ってることがないと生きてちゃいけないなんてそんな訳ないじゃない。

今まで頑張ったからお休み、今はそういう時期なのかもしれない。体が勝手に判断したのかもしれない。そんなの、わかんないけど。
程度が違うだろうけど、私もそんなことありました。

何か一つ、出来ること、やりたいこと、楽しいこと、くだらなくても良いから、やってみよう。続けてみよう。
楽しい、面白い、って気持ちは死んでないはずだから。

文章が拙く、気分を害されたら申し訳ありません。

fuu.

ななしさん

生きてる上で今の苦しみから
逃れる方法が選択枠に
あるのならあなたは
生きることができる。
きっと大丈夫

ななしさん

あなたの活躍できることが世の中いっぱいあると思うよ。
探してみてよ。

ななしさん

「死ぬことしか考えられない」で検索してここにきました。
今の自分の状態です。同じかどうかはわかりません。色々考えて
結果いつも最後は死にたいとしか思えない。
じゃあ、死ねばいいじゃん。と思います。
死ねないなら、死にたいとかいってんじゃねーよ!
生きていれば転機は来るかもしれない。
死ぬ事ができるなら何でもできるやん!
生きたくても生きられない人がいるのに甘えてるんじゃない!
ただの甘え。病院行け!死にたきゃ死ね!
などなど色々考えてそれでも何もできず、何もせず
ただただ、助けてほしい。
自分も気持ちがあがっている時は、甘えてるんじゃねーよ!
って思うけど、完全に落ちてしまうと本当にどうにもならない
かまってちゃんになってしまうんです。
ほんと、ウザイやつって自分でも思うけど
でももうほんとに、どうしようもなくて…
どうしてほしいかもわからず、
やっぱり行き着くとこは死にたい
になってしまってるんですか?
それなら、今の私と同じです。

ななしさん

私だって自分なんか死んだって良いと
思ってる。
誰だってそう思う時はある。
あなたが死んだら悲しむ人だって絶対に
いる。
大丈夫。
たとえ今ダメ人間だとしても
まだまだ時間はあるんだから。
他の人なんか気にしてはダメ。
あなたの人生の主人公はあなたですよ?

ななしさん

私だって自分なんか死んだって良いと
思ってる。
誰だってそう思う時はある。
あなたが死んだら悲しむ人だって絶対に
いる。
大丈夫。
たとえ今ダメ人間だとしても
まだまだ時間はあるんだから。
他の人なんか気にしてはダメ。
あなたの人生の主人公はあなたですよ?

ななしさん

私だって自分なんか死んだって良いと
思ってる。
誰だってそう思う時はある。
あなたが死んだら悲しむ人だって絶対に
いる。
大丈夫。
たとえ今ダメ人間だとしても
まだまだ時間はあるんだから。
他の人なんか気にしてはダメ。
あなたの人生の主人公はあなたですよ?

ななしさん

私だって自分なんか死んだって良いと
思ってる。
誰だってそう思う時はある。
あなたが死んだら悲しむ人だって絶対に
いる。
大丈夫。
たとえ今ダメ人間だとしても
まだまだ時間はあるんだから。
他の人なんか気にしてはダメ。
あなたの人生の主人公はあなたですよ?

ななしさん

その気持ちとても分かるよ。

だって今まさに同じ気持ちだから。

頑張れって応援、
もう十分頑張ってるよ。

気休めなんていらない。
今の気持ちを理解してほしい。
同じ思いを知ってほしい。

もし同じ思いをしてる人にあったら
何て声をかけるだろう。

何もでてこないよ。
何もわからない。


でも世界中のどこかで
きっと同じ思いをしてる人が必ずいる。

一人じゃない。
孤独じゃない。

ななしさん

私も死にたい。

ななしさん

まったく私と同じ。。
辛いよね。
自分が世の中で必要とされてないんじゃないかって思ってしまうと、怖くて、辛くて、死にたくなる。

こんな他人から見たら気にもしないって思ってしまいそうな苦しみを背負ってる自分がさらに嫌いになって、また苦しくなる。

もう少し自分を愛せる、許せる、大切にできたら、どんなに幸せか。。っていつも考えてるよ。
私はそんな自分が大嫌いで憎くて死にたいってモヤモヤしてて、
日々それと戦ってる。いつ楽になれるのかな?

ななしさん

気持ち分かります。
死にたい。もうどうしようもない、だけど死ねない自分に、また腹が立ちます。何の取り柄もなく、価値もないなら存在する理由が分からない。。
いつまでもなりたい自分になれない、
落ちこぼれのまま
ほんと、悔しくて自分を責めます。
どれくらい頑張れば、また笑えるんですかね?
わたしが言える立場じゃないですが、
まだ、もう少し死ぬ気で生きて見ませんか?わたしも、まだ未来への希望は捨ててません。先のことは誰にも分からない。辛いことはきっとこの先も沢山あるかもしれない。でも、もしかしたら逆転の人生がまってるかも知れない。きっと、まだ生きていたら、掴めるはずです。自分の存在価値。生き方が分からないから死にたいと思うんですよね、早くこの暗いトンネルから抜け出す時がきますように。。

ななしさん

人生なんて死ぬまでの暇潰し

飽きたら死ねばいい

ななしさん

死にたいあなたは今必死で生きている。生きているだけでえらいです。自分を否定しないで。

ななしさん

私もおなじです。

苦しい。死にたい。苦しい。

いつになったら楽になれるのかな…

ななしさん

本気出して遊べ

ななしさん

昔、私はそういう状態だった。死ぬほど苦しかったし、自殺しようと何度もし、そして今も時々そういう苦しみがある。私は、死にたかった。しかし、結局死ぬことが出来なかった。毎日毎日死ぬことばかり考えていた。今私は38歳で、それは20代前半のことである。『菜根譚』に「耐」の一字が大事なのだということが書いてあって、そうかと思ってそれを信じてただ苦しみに耐えた。というか耐えてきた。他の人のことについては、多分あまり大したことは言えない。ただ、今までそういう苦しみに耐えてきた自分がいる。そういう自分がある。生きていればいいことがあるとか、そういうことを言おうとは思わない。マルクス・アウレリウスの『自省録』とか、色々読んだ。最近は、中国の故事成語辞典(中国語ではなく)を読んでいて、人々は昔から様々なことで苦しんできたんだなと思った。自分を信じるとか、前は人に言ったが、自分を信じることも大事だが、それが出来ない場合は、ただ耐えるしかない、そう思う。或は神仏にすがるとか。苦しんで苦しんでそれで見えるものが確かにある。私は、自分には耐えられないと思う位、苦しかった。焼身自殺が、脳裏をよぎったこともある。耐えれば明るい未来が見えるとか、多分そういうことではない。耐える中で、徐々に光が差すとか、地道にやっていこうとか、そういう生き方が見えるというか、そうするようになるとか、そういうことだと思う。私自身はそうだったと言うだけかもしれないが。

耐えると一言で言ったが、一言で言えるほど簡単なことではない。耐えがたいことに耐えなければならない。死ぬほどの苦しみに耐えなければならない。まあ、私はただ耐えてきて、余り他人には相談しなかったのだが。

余り役には立たなかったかもしれないが、これが私が経験したことではある。

ななしさん

昨日、耐えるということを書いたが、思い出したことがあるので、また書くことにする。

耐えるというのは、辛いことではある。ずっと先のことを考えたりすると、多分かなり辛い。一日一日生きる。最近、苦しくなって思ったことである。一日一日生き、一秒一秒生き、一分一分生き、一時間一時間生きる。そう自分に言い聞かせることしかできなかった。自分は弱い、そう思うかもしれない。そういう、自分についての解釈や評価はわきに置いて、ただ耐える。耐えるというより、苦しみの中でもがきながら(或はもがいているうちに)時間が経つといったところかもしれない。苦しみの中でもがいているうちに、一寸の苦しみには耐えられるようになる。人によってどのくらいの時間が経てばそうなるかは私には分からないが、兎に角、耐えているうちに耐えるということが出来るようになる。

私は余り他人には相談しなかった。ただ耐えただけだから、このように書くことしかできない。苦しみ過ぎたということではあるが。苦しい苦しいと思いながら、時間が経つ。死なない限りは時間が経つ。

死ということを直視すると、多分辛いないし苦しいと思う。それは昔の人間が言っていることであるし、私もまたそう思う。人に相談したら死んではいけないとか周りの人が辛い思いをするとか言うと思う。ただ、死にたいと思う気持ちは分かる。私自身、そうだった。毎日毎日、そんなことばかり考えていた。どうやって死ぬかということしか考えられなかった時期があった。自殺未遂は何回かしたが、結局死ぬことが出来なかった。確かに生きる辛さから逃れたいとか、早く楽になりたいとか、そう考えてはいけないとか、人は言うと思う。ただ、それは普通に生きている人間から見てそう言えることで、今実際に死にたいと思う人にとっては、そういうことは、理屈にすぎないと思うと思う。死を前にすると、人間は足がすくむ。それが、生きているということである。死にたいとか思っても、死を実際に目の前にすると、まだ死にたくないとか思う。ブッダではないが、生きることは、確かに苦しいことではある。ただ、普通、苦しいと言っても、永遠に続くものではない。今苦しいとか思っていると、確かにこの苦しみが永遠に続くものであるかのような錯覚に陥る。ただ、苦しいと思うこと自体が、今自分は生きているということである。生きたいか生きたくないかは別にして、苦しいと思うということは、そう思い感じる自分がいるないしあるということである。身体は必死に耐えている。苦しい、ただそういうことを、自分は生きているのだという信号として、身体は自分に伝えているのだと、ある本を読んで、思った。

多分、食事をしない日はないと思う。何を買って食べるのであれ、料理するのであれしないのであれ、それは生き物のいのちをいただいているということである。今日、牛肉を私は食べた。それだけでも、少なくとも、牛が人間の食料になるために犠牲になっているということである。野菜だって、自然の恵みである。牛だって、生きている動物である。生きている限り、誰だって、動物だって、生きたいと思う。それを、人間の食料のために犠牲にしているのである。それが生態系の現実なのだと言えばそうであるが。それを忘れるべきではないということである。まあ、私自身、そう思ったのは最近なのであるが。

死にたいと言う人に何を言えばいいのか分からないが、苦しみに耐えるということも、生きることだと立派に言える。余り表には出ないが。ただ、時々、死んだ方が楽になるのではないかと思うほど苦しいことがある。私は、昔、人生に幻滅した人間だった。死んだら記録しか残らないとか、それすら忘れられてしまうのだとか思って、人生には意味がないと、18,9歳のころ思って、人生に幻滅した。それから数年間は、神仏はいるのかとか、自分の人生の目的は何かとか、この二つの問いを、それこそ毎日考えていた。世界が違う女性を好きになってしまって、死ぬほど辛く苦しい思いをしながら、毎日その問いを考えていた。思えば、それは自分自身の存在理由というか、存在意義とか、そういうことなのかもしれない。神仏は救ってくれるのか、自分は何故生きているのか、裏を返せばそういうことにはなるが、そういうこと自体分からなかった私は、20代前半のころ、そういうことを毎日毎日考えていた。辛かったし、また死ぬほど苦しかった。何度か自殺未遂をして、それでも私は死ねなかった。そういう自分に、私は落胆した。絶望したと言ってもいいと思う。そういう中で、死ねないのだから生きていかねばならないと、思うようになった。それで生きる道を探り、生きたのであるが、それはまた別の話である。その時は先の二つの疑問は解決されていなかったのであるが、今は神仏はいると思うし、自分が生きている意味も、分かる。それでも死ぬほどの苦しみがあるのであるが。あのとき死んでいればよかったのかどうかは分からない。ただ、それはこの先何年ないし何十年かたって、(或は死んでから)はじめて分かるのかもしれない。栄光が死後にあるのなら私は焦らないことにするとか、そうギリシア・ローマの名言集に書いてあった(様な気がする)が、死ぬほど苦しいと思う苦しみを味わうことも、人生の中であっても良いと、こうして書いていて思う。確かにうれしいことではないが、人生の教訓というか、逆境の苦労というか、(人生における)そういう経験の一つとしてとらえれば、そういう苦しみにも耐える勇気が出てくるかもしれない。本当に死んでしまったら何も学ばないが、苦しみといっても永遠に続くものではないし、耐えていればなんとか少しずつでも道が見えるものであるし。と言いつつ、実際に自分が苦しい思いをすると、死んだほうがいいのではないかとか思うのであるが。だから、私は大したことは言えない。

色々長々と書いた。読んでくれてありがとう。

ななしさん

こんにちわ。僕もしんどくて、苦しい時がよくあります。
できることを探してみたり、座禅みたいなことをしてみたり、念仏を唱えてみたりして、なんとか生きています。でもまた苦しくなったりします。
でもいつか苦しみを抜けて、楽しく平和で過ごせる時がくるかもしれないという希望もどこかに持っています。
皆が苦しみを抜けて、楽しく過ごせる時がきますように。
皆で生きていきましょう~。
ありがとうございます。

ななしさん

生きるのが辛い、そういう人が、多いようだ。

苦しすぎて、死んだ方が楽ではないか、死んだ方がいいのではないか、そう思う人も、多いと思う。(本当は自分も時々そうなのだが。)そういうときに、一体どうすればいいのか。

死ぬときに、自分の人生は苦しい人生だった、それでも、自分は人生を死ぬまで生きた、そして自分はこれでよかったのだ、そう思えればいいのではないかと、20代前半で苦しんでいたときに思った。自分を信じるとか、耐えるとか、やり過ごすとか、色々方法はあると思う。神仏に祈るとか、色々あると思う。それはそれでいい。色々苦しすぎることも経験して、これからも経験すると思う。先のことを考えると、憂鬱になる。今、この自分を、生きる。そんなことが、自己カウンセリングの入門書的な本に書いてあった。自分の感覚を取り戻し、自分を取り戻し、自分を感じる、そういうことも必要なのかもしれない。自分を見失わない。『ぼんやりの時間』という本を読んでいて、自然のリズムないし流れに従って生き、或は自然の営みを日々感じながら生きる、ということを知った。死ぬほど苦しいと思って、もがき苦しむ。苦しんで苦しんで、辛くて泣いてしまうかもしれない。ただ、泣けるなら泣いた方がいい。人間が喜怒哀楽の感情を持ち、それを表現するということは、人間として大事なことだから。

本当は、こうして偉そうなことを書ける身ではない。ただ、自分の人生における、一つの或は一連の経験として、耐えられないと思うことに耐え、もがき苦しみ、それでも生きている。生きていくというより、生きているといった方がいいかもしれない。それでも、生きているということには変わりはない。苦しい時に、あてになるのは、神仏、或は自分自身、そう言ったところではないだろうか。或は、死なないということ、苦しくても、どんなに弱音を吐いても生きているということ、それしかないのかもしれない。人の助言や救いが、確かにあるのかもしれない。それはそれでいい。ただ、死なないと言うだけでも、かなり大変なことだし、本当は、その方が社会的な地位や名誉・財産を得るよりもはるかに大変だが大切なことなのだということも、あると思う。

辛くて苦しい時に、一体何が寄る辺になるのだろうか。一体誰が助けてくれるのだろうか。そういうときに、その人の真価が問われる。そしてそういうときに、人は成長することができる。確かに結果論かもしれないが、それを何とか過ごし乗り越えた時に、或はそうしてしばらく経ってから、なんとなくわかるのだと思う。苦しい時に、苦しくて苦しくて仕方がない時に、何かを見出す、夫々の人が何か大切なものを見出し、夫々それを糧にして生きていく、そういうことも、あると思う。苦しまねばならない、何故自分が苦しまねばならないのだろうか、そう思って自分を責め、苦しむ人もいると思う。それでも、その苦しみのときを或は最も苦しい時を何とか過ごし、それで何かを見出すという人も、多いと思う。確かに先のことを考えると益々苦しくなる、そういうこともあるかもしれない。そういう時は、一日一日を生きる、或は一秒一秒、一分一分、一時間一時間、夫々のときを生きる、そうすればいいと思う。確かに、過ぎ去った時はもう戻ってはこない。確かに、光陰矢のごとしという。しかし、今というときを生き続ければ、それが一秒、一分、一時間、一日、一カ月、一年、と過ぎ、そうしていけば、何とか最も苦しい時を過ごすことができると思う。人間は、今というときしか生きられない。多分、今というときにしか、行為が出来ないのだと思う。過去のことを考えても、もう戻ってはこない。将来のことを考えても、まだ来てはいない。しかし、今というときは、まさに今、生きることができる。一秒一秒に、或は一分一分に、或は一時間一時間に、或は一日一日に、生きていることを続ければ、死なない限りは時間が経つ。時間が経つということも、人間にとっては大事なことだということもある。

何を書けばよいのか分からないが、兎に角書いた。この辺で書くのを止める。

ななしさん

おれも今苦しいです。気持ち悪い、はきそう。
孤独。無理してるのかな。気持ちが人に頼りすぎなのかもしれん。
治ってはいないかもしれないけれど、同じような人がいたというだけ
で少し落ち着きました。この苦しさを同じように持っている人がいるんだと思ったら楽になりました。おれは今まで同じ苦しみを人に与えてきたと思い当たる節があります。これも報いだと思って進むしかない。今の気持ちを整理してまた進むしかないと思っています。おやすみなさい。

ななしさん

生きろ

ななしさん

私も死にたいと思うこと何度もありました。
でも死ねませんでした 私は。
そのとき あーまだいきたいのかなって思って
今頑張って生きてます。辛いことや、やりたくないことがあっても 大丈夫 できるできる と
自分にいいきかせてます。

リストカットしても 痛いだけで 自分を傷つけるだけで 状況は変わんないです。
私は今 中三で大変で塾の環境に馴染めてなくまた学校でのクラスにも馴染めてなく 悩んでます。でも 友達は少ないけどいますし
助けてもらってます。
苦しいのは頑張って生きてる証拠です けれど
死のうとは思わないでください。あと自分をせめたりしないで下さい。なんだかんだいって自分を最後まで見捨てないのは自分です。

今の私は自分のことを好きでも嫌いでもないです。前は 毎日毎日責めつづけて やつれてましたけど。だけど それもつかれたので あんまり考えないで生きることにしました。たまーに、無意識に考えすぎるときもありますが…

とにかく生きて下さい!!!私も頑張って今をいきます!!

ななしさん

私も。死にたくてたまらない。
死ぬよりもこれから生きて行く方が怖い。

ななしさん

私も苦しい

ななしさん

悟、ですね。きっと。
最後にする。そう決めて息長らえる路を一歩踏み出す。倒れる時は前のめり。
決めておけば、少しずつ進める。それで風景も変わる。それでも死を望んだら、その時にまた、考える。
生きるにしろ、死ぬにしろ、自分自身できめれば、やり遂げる事になると思う。
私は、そうやって、まだ生きてます。

ななしさん

とことんまで落ちることは簡単だよ
でも
なにも解決なんかしないんだ
諦めがつくところまで落ちて見てもいい
諦めるより立ち向かう方が賢いと気が付くのはとことん落ちてからだから
あまり諦めるのは良くないよ
落ちてみて気づくのもいいが
落ちる前に考えることの方がもっといい


とことんまで落ちてみてるから
思う。
悩みが簡単なうちに対処すれば良かったと
たくさん相談してみてください
対策はいくらでも簡単なうちはあるんですよ

ななしさん

私もです
リスカなんてきずいてほしいだけじゃん
って、いう人もいます
けど、それだけ苦しいんです、死ぬのも怖いんです、助けてほしいんです今の現実から逃げ出したいと思ってるけど逃げたくもないんです
矛盾してるけど、それだけ心の中がぐちゃぐちゃなんです
ィ自分がどれだけ周りからひつようとされてないかぐらいかわかってるんです
周りから見れば私なんてうざいしきもいしいない方がましなんですよね

だれか助けてください、
きれいごとは聞きたくないんです
矛盾してるってことぐらいわかってるんです
でも助けてください

ななしさん

生き抜いて見せてみろ

ななしさん

僕も3年後の受験の親のプレッシャーで泣きそう吐きそう…

ななしさん

死にたい。どう死ねばいいの?

ななしさん

これは私のわがままですが、死んではいけません。死なないで下さい。私が寂しくなってしまいます。貴方に死んでほしくありません。。。私は貴方の事を何も知らないけれど、素晴らしい人だと思う。私も貴方みたいに自分に厳しい人間になりたいです。

ななしさん

わたしも同じような気持ち。

ただただ、時が流れゆくのをジッとがまんしているだけ・・・。

解決策なんかありゃしない。

無い頭をふりしぼってみるけど、なんともならない。

消えていなくなりたい・・・。

でも、なんとか生きてる。ただただ、生きてる。

ななしさん

楽になりたいと思うにも、死にたいと思うにもどちらにせよ何か決断が必要なわけで。
もし、死ぬって決断をするならそれ相応の痛みと気持ちを覚悟しなくちゃならない。
生きるってのも、それはそれでそれ相応の覚悟しなくちゃならない。
人間、感情を持った時から罪の償いが始まってるって事よ。
感情が罪でもあり、生きる価値にもなるし。
どう考えるかはあなた次第だから言えないけれども
もし、そこで自殺をしたらある小説のパクリだけど自分を殺すって罪を犯すんだからね?
それを踏まえた上で考えてみたら?もう一度何がしたいか。
本当に死にたいとかって。無気力でも少しは考えられるでしょ?

ななしさん

同じく自分も。早く楽に逝けるといいですね。
お互い。

ななしさん

分かります。分かります。 
だから、死ぬなとは言いません。
でも、きついこと言うようですが、
[死にたい]なんて贅沢です。
生きたくても死んでしまう人もいます。
だから私は、死にたいと思った時は、そういう人たちの代わりで生きていると考えるようにしています。
ぜひ試してみてください。

きっと、あなたを必要としている人がいると思います。ネットなどで趣味を共有したりしてみてはどうですか? 



もう一度考え直してみてください。あなたの幸せを願っています。

長文&変な文章すみません。

ななしさん

生きろ生きろ生きろ生きろ生きろ生きろ生きろ生きろ生きろ生きろ生きろ絶対に生きろ。
苦しくても生きろ悲しくても生きろ。
自殺をしてしまったら多くの人が悲しむことになる。
そんな身勝手な行動を起こすぐらいなら、生きろ。
生きて生きまくって世界一幸せになれ

ななしさん

私も死にたい!
私も死にたい!!
私も死にたい!!!
私も死にたい!!!!

死にたい…!

ななしさん

おれは、「死にたい」とか「消えたい」という意欲はすでにない。

ただ、こう。ベッドに横たわると、ふと。

「このまま溶けてなくなりたい」とは思う。

でも、じっさい、溶けはしない。

だから、こうしてエビのように水中で暮らしている。

Yo vivo en el agua como camaron,a nadie importa como vivo yo, ke estoy \'na.

ななしさん

分かる 分かる!!
俺も死にたいと思うときあります
でも、やりたいものもたくさんあるから、死ねない
(彼女つくりたいとか、セックスしたいとか)wwww
だから、
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誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います。
※宛メは受け止めてあげる場所です。否定や批判のお返事はしないでください。
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お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。

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