大事なモノを捨てられた。写真なんだけど…
シュレッダーにかけられてた。
もう元には戻らない。何十年も前の母親が子供の頃の写真。白黒で見たことない笑顔で笑っているのもあって。とっておこうと思ったら、本人が捨てていた。
私は鬱で、我が家はモラハラ、DVよりの父親と、そんな父親に反抗出来ない母親は、依存してるように見えるし過保護。
で、そんな環境の中おかしくなった私は、母親を嫌ったり憎んだり出来ずにいる。
多分、母親か死んだら私も一緒に。
母親がいなくなったら生きていけないと思う。
でも時々、頑張ろうとおもって、思い出に写真を保管しておけば、すこしは支えになるかもとおもったんだけど。
破られちゃった。
怒りと悲しみとどうにもならない感情が溢れて、どうしようもないからリスカした。
取り上げられた。
裏切られた気分。
上手く表現出来ないけど、
とにかく失くなった。
明日からも母親とにこにこしながら気使って話さなきゃいけないのか。
もう信頼できる人が、ひとりもいなくなった。
終わりだ。
頑張ったって結局、報われない。
そんなことで?と思うかもしれないけど、
色々あったことの中のひとつにしか過ぎないから。
だから、私には希望も何もない。
この前のグループワークの時、幸せと不幸について話があったけど…
先生、例外もあったよ、ここに。
私、病気は落ち着いてきたと、思ったんだけどこんな感情があふれてきて、やっぱりまだだなって。
だめだ長くなってしまう。
ななしさん
写真って、かなり象徴的意味合いを持ちやすいですよね。
「屈託のない笑顔のお母さん」って、あなたにはとても貴重な宝物だったと思います。
「可哀想なお母さん」の対極ですし、かつてそうだったなら、いつか戻れる可能性だってありますから。
本来なら、いつもそういうお母さんであって欲しかったでしょうね。
そういうお母さんなら、いなくなってからでも、記憶の中で、心の中で、子どもを支えるものですし。
それなのに、よりによってそのお母さん本人が、せめてもの希望を切り刻んで、捨ててしまったのですから、あなたの怒りと絶望は、本当にもっともだと思います。
むしろ「またなの!?」と思わない方がおかしいくらいです。
お母さんは今までだって、何度も何度もあなたの期待を裏切り、失望させて来たのでしょうから。
まして、今回はお母さん本人に重荷を背負わせるのはやめて、ひっそりと写真に思いを託そうとしたというのに。
だけど。
その「もう終わり」という感覚は、実はあなたが思っているのとは、違う意味合いもある気がします。
お母さんへの、決して報われない期待の、終わりの始まり。
お母さんを完全に見限った時、初めて見えて来る景色があるはずなんです。
嫌ったり、憎んだりするのとも違います。
それは、お母さんを、あなたが望む母親には決してなれない存在として改めて認識し、諦め、そのことを受け入れ、悲しみ尽くし、悼むということです。
もしかしたら、その長い長いプロセスの、最初にして最大の出来事なのでは、と思います。
もしそうなら、その最後には、あなたはそれまで感じたことのない解放感を味わうことになるでしょう。