「やらない善より、やる偽善」?否、それを言ったら自己満足、スラックティビズムだ。
よく聞く信用ならない言葉、「やらない善より、やる偽善」と言い
何もしないよりマシだ、何かやってれば許されるみたいに主張してる奴を幾つも見たが、
一体いつから偽善=善だと勘違いしている?
とある誰かはこう言った。
「善意でも結果が出なければ偽善と言われる」のは仕方ない、善意≠善だと。
(多分宛メでは見てない)
すなわち他人の為の善などと銘打った善意の行動でも
結果を無視し場所と方向性を間違えた行動は善とは呼べず、他人の為にもならず、時にはマイナスとなって返って来るだけ、
結末は「善意で行動した俺サイコー」と自分の達成感を満たすのみ、→偽善=スラックティビズムと言い、善ではない。
例えば「頑張れ」(←)は良い言葉(←)だが溺れそうな人に「頑張れ」の声がけで応じるのは無意味。
他人の為、善意を主張したいならば結果を出す事を念頭に置き
まず結果に辿り着く道筋を考えてからにしなくてはいけない。
それにしても善意なら何でもいいと思ってる奴らは、一体いつまで偽善を押し通す積もりだろう?
頑張ってるから褒めてください、工夫してるから認めてくださいなんて言い訳だって。結果を気にしたくなかったら最初から自己満足にしとけよなー。
それ考えると無意味な行動に「やらない善より、やる偽善だよ」なんて
分かってる人には鼻で笑われるだけだが、知らずに騙されると大変だ。
優しい言葉に見えて悪に引きずり込む怖い言葉、うっかり騙されちゃいけないね!
まぁ実際は姿形を変えて適用されるそうで確かに既視感はある。どこで見たんだろう?良いコト言ってる風に見せて何も良くない中身もない...