夫が殺されて以来、毎日が寂しくて苦しくて悲しくて気が狂いそうでした。
今も「鈍くなろう鈍くなろう」と自分に言い聞かせ続けながら暮らしています。
なんとか苦しみから逃げ出したい、誰かに助けてもらいたいと思いましたが、私には親しい友だちも家族もいません。
その事実にまたしても打ちのめされながら、カウンセリングや心療内科に通っていました。
※こういうと「頼りっぱなしはよくない」といわれますが、頼る以外の自分でできる努力はやっています。
少しでも救われたい、そのための可能性を広げなければ……と、支えになってくれそうなものを増やすために、ネットや公的サービスの相談口を駆使してさまざまなサービスや支援を探しました。
ネット上であろうとなかろうと、どんな場所でも、相手が誰であろうとも、トンチンカンな返答をされたり、的外れなアドバイスをされたりすることがありました。
というか、私は標準的な性格ではなく、価値観も独特な「ズレた人間」なので、アドバイスのほとんどが「そういわれても……」でした。
世の中は多数派が生きやすいようにできていて、少数派は存在すら認識されていないのです。
それは昨日今日始まったわけではないし、誰が悪いということでもありません。
ただ、私が運悪く多くの人たちと違うタイプの人間に生まれてしまったという事実が辛いというだけです。
「多くの人にとってはそうかもしれないけど、私にはまったく当てはまらない」
そう感じる度に孤独さを突きつけられているような気がして落ち込みました。
そんな私を唯一理解し、大事にしてくれていたのが夫でした。
話が逸れました。
戻します。
誰かに助けを求めているのに、多くの人には何が問題かわかってもらえない。
求めているものをわかってもらえず、求めていない言葉やむしろいわれたくない言葉を投げかけられる。
こんなふうに追い詰められるだけならもう努力をしたくない、何もかもあきらめて何もしないでほうがいいのかなと思っていました。
それでもあきらめきれず「宛先のないメール」でときどき小瓶を流していました。
やはりここでも「そう決めつけられても」「そうではないと最初からいっているのに」と思うような返事が多かったです(すみません)。
傷つくだけならもうやめようかなと思っていたとき、kpさんという方から返信が届きました。
ありがとう。
あなたの言葉はとても嬉しかったです。
あなたが書いた、他の方への返信もいくつか読みました。
「相手に寄り添おう」という気持ちが伝わってくる、よい返信ばかりでした。
あなたのような人が身近にいてくれたらいいのにと思いましたが、それは厚かましいですね。
ここで返信をもらえただけでもありがたいと思っています。
どうかこのお礼が、本人に届いてくれたらいいなと思います。