私のような人間として、大人としての出来損ないに、『生きて』と言ってくれる人はいるのでしょうか?
何の生産もしない、役に立たない人間に存在価値はあるのでしょうか?
35年間、わたしの打たれ弱さが原因で逃げ出して、助けてもらって、なんとか生きてきました。
ごまかしごまかし生きてきました。
理不尽な親でもなく、這い上がれない環境でもありませんでした。
私自身の根性の無さが原因で、どんどん社会復帰ができなくなっていったのです。
環境のせいにしようと思えば、話したいことはあります。
でも、それを人に言うのがとてもとても恐ろしい。
「そんな事で?」「甘えてる」「もっと頑張りなよ」
そんな心の声が聞こえてきそうで。でも実際甘えているし頑張っていないからそう思われてもしょうがないです。
だから誰にも話せない。このまま消えてしまいたい。くだらない理由で私は人生が辛いのです。
毎日ご飯も食べられる。趣味だってある。こんなに恵まれているのに。
自分で人生を終わらせるのはとても怖いです。身辺整理をしようと手をつけても、後戻り出来なくなると思うと未練がまだ自分にあるのが不甲斐ない。何もかもが中途半端、30年以上も何をしてきたの?
本当は、生きたい。でも、生きていられないから終わらせたい。
どうすれば覚悟ができるのか。覚悟すらもできないクズだから無理なのかな。
ここ最近いよいよ逃げ場がなくなってきました。
今度はどこに逃げるんだろう。
どうか私に、終わらせる勇気がでますように。
ななしさん
小瓶主さん、どうか『生きて』ください。
笑われるかもしれませんが、私が夢見るのは、自ら死を選ぶ人がいない世界です。
苦しいまま耐える生の継続ではなく、すべての人が幸せな生を全うする世界……。
あなたが、人生を辛く感じていらっしゃるのは事実です。
そのことを誰も批判できません。なぜならその感情は真実なのですから。
逃げるだけ逃げていいではありませんか。
生きるための逃避であれば。
「変えられないものを受け入れる心の平穏を与えて下さい。
変えることのできるものを変える勇気を与えて下さい。
そして、変えることのできるものとできないものを見分ける賢さを与えて下さい」
私は無神論者ですが、
この、二ーバーの祈りは好きです。