ご近所の、独り暮らしのご高齢な方に時々、手料理をお届けしてる。
お弁当のおかずのおすそ分けに過ぎないのだけど、
誰かのために、と思うとおのずと作りかたも丁寧になる。
自分のために、だけじゃ頑張りきれない。
今の仕事を始めてから、
なんとなく自分なりに決めたこと、
インスタントや菓子パンやコンビニ弁当には手を出さない!
できる限り、ちゃんとお料理しよう、ということ。
だんだんネタも尽きてきて、時にはお弁当箱の蓋を開けて、
ああ、地味だ・・・と思うこともあるし、
味うす過ぎ!とか濃過ぎた!とかなんてしょっちゅうだし。
(毎日、お子たちのお弁当、キャラ弁とか作ってるお母さんたちがどれだけエラいか本当によくわかる!!)
それでもなんか、やっぱり自分の慣れた味だとホッとするんだ。
きっと、おじさんにも慣れ親しんだ家庭の味があると思う。
おばさんは、家事をきちんとこなす方で、
いつもお家の中をきれいにしていらした。
お料理だって、きっととても丁寧に作っていらしたと思う。
だからきっとありがた迷惑なこともあると思うんだ。
差し上げるタイミングだって、
おじさんが「今日は・・・が食べたいな」と思って、
近くのスーパーで買ってきちゃってるかもしれないところへ、
もしかしたら食べたくないタイプのものを押し付けられちゃってるかもしれない。
それでも、休みの日に少しだけ気合を入れて、ちゃんとレシピもチェックして作ったものは、
食べていただきたくなる。
届ければ届けたで、喜んでいただける。
無心にお料理しながら、ふと「これは逃避行動だよな」って思う。
お料理している間は、何も考えないで済む。
私、これからどうしよう・・・・何をやって生きていこう・・・・ひとりでこれからどうしよう・・・・。
考えてもすぐには答えの出ない問い、でも考えなくては解決しようのない問い・・・・。
不安に向き合うのが怖くて、人にために、なんて偉そうな大義名分掲げて、お料理に逃げてる。
ありがとう、と言われることで、少しは良いことした気になって満足して、
こんな私でも誰かの役に立てている、きっといつか良いことがあるに違いない・・・そう、きっと、必ず・・・。
そんなことで希望をつないで生きている。