なんでそれ選ぶ!?!? なんで!?!?!?!?
って、怒りとか呆れとかではなく、ただただびっくりさせられるけど、その『選択』こそがその人、その人生を構成してるんだよなと考えたら、その『選択』の先で不当に傷つけられたりしないといいね……と願うしかなくなる。
けど、何度選んでも心の同じような場所に傷をつけられて、それが嫌なら、もう選び方自体を見直したほうがいいんよな。
例えば、イチゴが好きな「好物は最後に食べたい派」の自分。
ショートケーキの上の大きなイチゴ、最後に食べようと大事に取っておいても、いつも横から誰かに掻っ攫われるとして。
もちろんそんなの、勝手に持っていく奴が絶対悪いんだけど。
やめろと言っても奪われて食べられるのを止められなかったら?
仕方ないやと諦める?
イチゴなんてそれほど好きでもないと嘘ついてごまかす?
他の誰かが気の毒に思ってイチゴを分けてくれるのを待つ?
え? ケーキなんかもう要らないって断る!?
いやいや。
人の居ない所に持って行って、独りで食べてみたらどう?
そもそも、攫われるより先に、食べてしまえばいいのでは?
その時に抵抗を感じても、思い切って変えてみたら、同じ問題に傷つけられることはなくなる。
自分のケーキに載ってるイチゴは無事、自分だけのもの。
ケーキの話が続いて恐縮ですが。
今。
いくつか並んでるケーキの中から好きなの選んでって
言われて、これは胸焼けしそう、
これはあんまり好きじゃない、
これは食べてみたいけど味が不安、
これは好きだけどカロリーが、
なんて思いながらぼんやり眺めてる間に
どんどん選べるケーキの種類が減っていってて、
消費期限が近づいたケーキは下げられるし
二つ目を選んでる人もいるぐらいなのに、
このままじゃ食いっぱぐれるのでは…?
となっている。
危機感。
考えを文字にしてまとめたかっただけの小瓶でした。
おなか空いたなぁ。