起き抜け。不安に押し潰されそうだった。寂しいね。と自分に声をかけながら、寂しさにお茶を出すというどこかで読んだ文面を思い出した。
そうか。寂しさにお茶を出したら。大宴会になるな。
音楽は不安協奏曲。かな。
ずっと孤独だったな。
寂しかったな。
小さい時から。
再婚してからも。
歳のせいもあってか、再婚してからの寂しさはとても辛かった。
今もその状態は続いているわけだから辛い。でも、再婚当初に比べたら、期待しなくなった分だけはマシになったのかな。
そうでもないな。
時折、意地悪をされてるかのように、貰える生活費の額を下げられたりしたときは、寂しさは不安と一緒になって襲ってきた。
殴られたわけでもなく、聞きようによってはただの経済的な都合であったりするから、私の感じる寂しさは人にはわかってもらいにくい代物で、その事が寂しさに拍車をかけた。
話しをすれば時計をわざとらしくチラチラ見られ、背中を向けたままだったり寝ころんだままの姿は、寂しさが増すばかりで、だんだん口を閉ざすようになり、外に出さなくなったそれは心身を辛くさせた。苦しかった。悲しかった。
耐えるだけで精一杯で、ぎっくり腰に何度もなり経済的にもより一層困窮し、また苦しくなるという悪循環。
そんな中で、お産の手伝いに行ってあげられなかったこと。
1人目の手伝いに行ってる最中の酷い扱いに深く傷付いていたことは、あなたは気が付いていますか?
お母さんだから。その一念で耐えたこと。感謝されることのない虚しい疲れと腹立たしさにのたうち回った。
お母さんだから。重たい役割に押し潰されそうだった。
だから、手伝いに行けなかったのはそのせいもあるとおもう。
怖かったのだ。子供が。
容赦ない追求。免れない悲しみ。
充分に望む愛を与えられなかったという罪悪感から受けるしか無いと耐える時間を、もう2度と経験したくないと思ったのは確かだった。
だけどどうだろう。
もし。あれ程までに日々の生活が精神の荒廃を招く状況ではなかったら、もう少しクッションになって、手伝いに半分だけでも行けたのではないか。と
私はおもう。
孫に会いたい。
繋がりが切れた寂しさはたまらない。
離婚の準備もややこし過ぎる。
ここにいても地獄。あっち向いても地獄。
虫の声が鳥のさえずりに変わった。
ひと言も話さず、待ち受けるのは難問ばかり。
助けがほしい。自分も頑張りたい。抜け出したい。
繋がりがほしい。寂しくない朝を迎えたい。
ななしさん
一度にいろんなことがあると
ぐったりしてしまいますよね。
ひとつひとつクリアしましょう。
離婚手続からなる一連作業は
役所の人にすることリスト
段取り書いていただくのも手です。
第三者は淡々とかけますし
彼らは毎日、それに携わるプロです。
書いたものは一息ついてから
確認が良いでしょう。
行動ですが書類などは、業者あれこれあっても、シャメして役所に確認あとにサインすること。提出前にコピーかシャメを忘れずに。
家族愛ある人の方が、長年の感情がともないグッタリしてしまうと思います。それだけ主さんがご家族に対して愛情深くがんばってこられた証です。
霧の中、ご不安と思います。歩けば晴れの日はきっときます。負けないで下さい!