これは倫理の授業中にふと思いついた仮説なんだけど、
人間が劣等感を感じるのはあくまで
「自分は優秀な人間だ」
と思っているからだと思う。
グラフなしで説明するの難しいけど頑張る。
(小瓶の写真の仕組みが未知で怖いので使えん)
というわけで例を挙げます、想像してみて。
(学年の設定とか死ぬほどどうでもいいけど具体的にしてみる)
あなたは高校2年生です。
定期テストでは、毎回5教科すべて平均点は80点です。
そのテストで、あなたは5教科すべて50点をとっています。
ある日、新たに道徳という科目を入れた6教科が主要の科目になり、定期テストに組み込まれました。
テスト後、6教科すべての平均点は80点でした。
そして、あなたは5教科はすべて50点だったものの、道徳では90点でした。
さて、ここで問題です。
あなたはそのテストにどんな感情を抱くでしょうか。
ひとそれぞれだとは思うけれど、私はやはり唯一出来た道徳の90点に対し優越感を抱くと思う。
そして道徳が入る前のテストには劣等感は抱かないのではないかな。
こんな例を持ち出したのには理由があって、
毎回50点をとることによって自分はそもそも出来ない人間だと客観的に確定する。
(つまり自分は優秀ではないと思う)
「本気出してないだけ、出したら平均点以上はとれる」と言いつつ劣等感を感じるならば、自分は優秀であると思っていることになる。
結構説明が難しいな。
先程グラフと言ったけれど、
平均が8cmの棒(6本ある)だとして、
自分の棒は5cmが5本、9cmが1本だとすると、
気になるのは9cmの棒ではないかな、という話。
逆も同じで、
自分の棒が9cm5本分と5cm1本分だったら5cmのほうを気にしてしまうと思うんだ。
気にしたのが9cmなら優越感、5cmなら劣等感の置き換えだと思って欲しい。
きっと日本人の劣等感が海外のひとより強いのとかはそこから来てるんじゃないかな。
日本人は職人気質とか言われるし技術が良いとか優秀だとか思ってる節があると思わない?実際に関係なく。
海外のひとは自己肯定感とか高いし自身を優秀だと思う節はあれど日本人ほどプライドは高くないのかなと思ったり。
海外のひとは自分に出来ることと出来ないことの割り切りが上手いのかしら、日本人は自分の能力を過大評価してしまうからそういうのが苦手とか。
海外のひととか日本人とか主語が大きいのは許して欲しい、例外もいると分かっているしあくまでイメージの話なので。
数学で小学生の頃から0点をとるような子は「自分は数学が出来ないんだ」と心の底から思えて、そうすれば少なくとも数学に関しては劣等感なんて抱かないんじゃないのかな。
さっきの6本の棒の話に戻るけど、5本もあれば9cmで周りより優れていようと目に入らないものじゃないのかな。逆に。
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周りと比べて落ち込むのは、
「自分は周りと同じぐらいもしくはそれ以上にデキる奴だ」
と思っているからかなぁ、と。
メイクをしない男のひとはメイクの上手な女のひとを見ても、それで自分はこんなに上手には無理だな、と思っても、
劣等感を感じないだろうなと自分は思うのです。
劣等感は、周りと比べた時にはじめて発生するんだよ。
たとえ道徳で90点とっても、他の5教科が50点だったら私は劣等感を感じたままだな。
だって、平均点以下なんだもん。
逆に、平均点が20点だったら、自分が50点でも劣等感は感じない。
周りと比べてどうか、って話だと思うよ。
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