なんか時々気持ちが沈んで死にたくなる
特にそれほど何かあった訳じゃないけど
自分は恵まれている人間だと思う。親も兄弟との関係もいいし、今まで充分愛されてきたと思う。不自由することが無いくらいには豊かだった。
でもなんかいつくらいからか時々ふっと虚しくなる。自分が生きてる意味って何?って。何のために生きてるんだろうって思う。
そうやって考えてると少し苦しくなる。
時々母や姉に話してみたりましたが、考えすぎなんじゃない?って言われた。みんなこんな事考えた事ないんだろうか?自分は中学くらいの頃からずっと浮かんだ事なので全く理解できなかった。
それとは別に自分への嫌悪感というものもある。自分の理想像と自分がかけ離れてるが故に起こるもので多分プライドが高いんだろうな、と思う。考える度いつも自分の無能さを突きつけられてるような気がして辛い。
このなんとも言えないぼんやりとした不安と自身への嫌悪が今の自分の希死念慮を育てているんだと思う。まぁ、だからといって死ぬつもりなんてないけど。怖いし、まだ生きてたいし。
でも時々ふっとああ、死にたいなって思ってしまう。厭世観っていうのが正しいのかな?
あー、なんか疲れたな、生きるの。ちょっとやすみたいって感じ。
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はじめまして!
周囲に同じような悩みを持つ人が居るので気になってお返事書かせていただいています。
主さんの物事に疑問を持ち,その解を探究する姿勢は素敵ですが,少々無理をしているような気がします。人間千差万別なので物事を深く探究したり,身近なことに疑問を持つ人がいても不思議じゃありません。疑問は,現状を変えたり未来への発明をする際に大いに役立ちますから悪いことではないです。
ただ,考えることで体調が悪くなったりマイナスな思考になるのであれば,それは考えすぎです。そこまでいくと,考えるというよりも苦悩だとおもいます。
また,生きる意味は考えても出ない人が多いです。とは言え,私も受験期に毎日のように考えてました。なんなら哲学とかまで手を出して考えてました。笑
そこで自分が至ったのは,生きる意味とは,「いずれ自ずとわかるもの」という答えでした。今は自分自身が未熟者であり,問いに対する解を出すための思考材料が足りていない現状にあるということですね。人生で数多の経験を積むことでいずれわかるものです。どこでそれがわかるかは,その人次第です。
それから,人生休んでなんぼです。休息をとる,結構じゃないですか!
休むことは次なる行動への原動力となるプラスの時間です。休まずに物事をすると人間いつかは頭打ちしてしまいます。例えどんなに意味を見出したとしても体が動かなくなったら本末転倒です。見出した意味すら叶えられなくなります。
実際に,主さんの脳や身体から疲れたというサインが出ているようです。これは自分自身からの警告です。これ以上は危ないよって言うことを症状として出しているんです。
こういう時は一休みする選択をとる勇気も必要ですよ。何にも考えずに海とかみてると落ち着きますよ。
生きてりゃ良いこともありますよ。
応援してます。
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