産まないで欲しかった
と、思ってしまう時が時々あります。
なぜなら、私は産まれてからの25年間、たくさんの人を傷つけて、産みの親も傷つけて、何もできないどうしようもない大人になってしまったからです。
私の父も母も、精神面で未熟なためか、繊細なためか、私が小さい頃からヒステリックな争いが起こりがちでした。
家の壁にはよく、父が殴った跡の穴が空いていました。
窓ガラスが割れることもありました。
母が目の前で包丁を投げたこともありました。
私がピアノの練習でぐずった時、母は自分の指を包丁で切り、あなたのせいだと言いました。
母が投げたお饅頭を父が踏み潰すのも目の前で見ました。
私はこれらを見ていたので人への意思の伝え方を間違えてしまっていました。
悲しいことや、やめてほしいこと、思い通りにならないことがあった時、相手への訴えとして自分の腕や顔を切りました。
また、小さな事でイライラしてよく物を壊してしまいます。
治したいと、何度も思いました。たくさん調べてやってみたし、病院にも行きました。
でも治りません。もう治らないと思って諦めそうです。
鬱病になりました。
ADHDとも言われました。でも障害者手帳はありません。周りからは早く障害者手帳を取れと言われます。障害者って思って接していないとムカつくから、だそうです。
私は自分がこんな大人になってしまったことを何度も親のせいにして親を責めて傷つけました。
でもこれ以上傷つけるのが嫌で連絡手段を断ちました。
自分が両親の影響を受けずに育つことができれば、両親を傷つけることも、他人をムカつかせることも、悲しい思いをさせることもなかったと思います。
未熟な状態で私を産んだ両親には、ただただ、産まないで欲しかった、と思ってしまっています。
そうすれば本人達が傷つかないで済んだと思うので。
25歳なので、死ぬことにも生きることにも責任が伴います。
この歳まで生きてしまったことを後悔しています。
もし死ぬなら、私は最後まで悪人でした。
ハズレでごめんなさい。
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相当な葛藤の末に書かれた文章だと感じました。
私も未だ若輩者ですが、
「人は学んだことしか出来ない」
そう考えています。
ですから、家庭で学んだことで人を傷つけてしまったことは、許されないことでも自身を過度に責める必要はないと思います。
「人は学んだことしか出来ない」
この言葉は自分以外にも当てはまります。
両親でもそうです。
折り合いをつける、相手を説得することを学べずにいたのかもしれません。
学びは与えられるものだったり、自身で獲得するものだったり。
与えられるものはなかなか選べなかったり、自身で獲得するにしても気付き、キッカケがないと求めれなかったり。
私の親も大人として出来ることは増えても、精神面では幼少期を大きく引きずっているようにみえます。
あなたのいう「未熟者」ですね。
「人は学んだことしか出来ない」
逆を言えば
「人は学べば出来るようになる」
私はそう信じています。
嫌々やらされていたモノを私は「学び」と呼びません。
強制学習とでもいいましょうか。
私もあなたのような経験がキッカケになり、学び始めることが出来ました。
人はいつからでも成長したっていいと思っています。
面白い心理学研究の論文とかインターネットで読めますよ^_^
私も口より手が先に出る人間で距離を置かれ、人とのコミュニケーションに悩んでいたので。
今もまだありますが、悩んだ分だけ言える言葉もあると実感しています。
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