私は大学4年生です。卒業研究に取り組んでいますが、進捗が著しく遅れています。原因は、遊んでばかりで真剣に取り組んでこなかった、指導教員にまともに相談をしなかった、という救いようのないものです。
自分の不出来さを直視するのが怖くて、ずっと逃げ続けてきた、当然の報いです。
今から少しも時間を無駄にせずに頑張れば、内容は酷いものになるかもしれないけど、間に合うだろうと言われています。そんな状況で、時間がないという焦りと、もう間に合わないという諦めから、研究に向き合うことができなくなってしまいました。
私の研究は参加者を募って、人を相手に実験をしなければいけないものです。
研究室の同級生と共同で参加者を募集し、日程を組んでいましたが、とても間に合わず、中止のお詫びメールを送りました。
自分の研究が忙しい中で募集や書類の用意を担当してくれた同級生と、参加を希望してくれた方々に非常に申し訳ないです。
私は、精神的につらくて頑張ることができないから、留年したい、両親と指導教員の先生に伝えました。
先生は、「折角実験が行えそうな段階まで来ているのに、もったいないと感じる。」とおっしゃいました。
そして、「当初予定していた方法とは異なるけど、方法を変えて実験を行って、分析して、なんとか論文にまとめたら間に合うかもしれないし、間に合ったらラッキーくらいに思って、ダメだったら留年すればいいんじゃない?とりあえず1,2週間休んで気持ちを落ち着けて、またやろうと思えたら、研究の続きをやったらいいよ。」と提案を受けました。
父は、「留年しそうだ、という話はわかったけど、間に合うかもしれないのに、最初からそれを諦めるのは理解できない。最後まで頑張るしかないよね。」と言いました。
母は、最初に伝えた時は、私の怠け具合をよく知っていたため、「散々遊んできたから当然だよね。見通しが甘いし、努力が圧倒的に足りないよね。」と言ったうえで、「反省して、1年で考え方や行動を改めて、自分の納得がいくようなものに仕上げるように頑張りな。」と言いました。
しかし、卒業論文や卒業研究は、結果が求められるものではなく、テーマを決め、情報を集め、自分なりの考えを組み立て、実行し、その結果を分析して、考察をする、という過程が大事なものであって、体裁を整えれば、内容は多少酷くても問題ない、という事実を知ると、概ね父と同じような意見に変わりました。
先生は確かに、間に合うかもしれない、と言ってくださいましたが、精神状態が不安定な私を気にしての気休めだとしか受け止めることができません。残りの時間、自身の力量と精神状態を鑑みて、私はとても間に合わせられる自信がありません。そのうえ、間に合わせるためには、精神状態を落ち着けるために休んでいる暇などないのです。
私は、先生の言葉に甘えて、一度研究から完全に離れてみることにしました。何もしていないと、すぐ研究のことを考えてしまうため、自分が好きなこと、ゲームをしてみたり、動画を見てみたりしました。あまりちゃんとできていなかった、食事や睡眠を少しでも普通に戻すように努めました。
しかし、研究のことはずっと頭から離れません。前は楽しかったゲームも、動画も、楽しいとは思えず、無意味に時間を消費するだけになりました。それでも、何もしていないよりは気がまぎれるのは確かで、起きている間はずっとそれらに時間を費やしていました。
1週間ほどそうしていて、母に「そろそろ、もう長いよね。ずっとそうしていても仕方ないでしょ。考えてるだけじゃ、どうにもならないんだよ。行動しなさい。」と言われました。正直なところ、気持ちは全く落ち着いていませんでしたが、母の言うことも事実で、このままでは元に戻ることが出来なくなる、と、学校に行きました。
学校で、実験に関する書類の訂正を行うために、学務へ行き、担当教員のところへ行き、手続きを行いました。ついでに、気持ちを整理するために、初めて保健センターへ行って、看護スタッフの方に相談をしました。話を聞くことはできるけれど、専門的なことは言えないから、とカウンセラーの方との相談予約を入れて帰りました。
カウンセラーの先生と話して、私自身はどうしたいのか、と聞かれ、改めて考えました。私は、「留年をして、研究にちゃんと向き合って、望むような結果が出なくても構わないから、今のままのどう考えても上手くいくはずのない実験ではなくて、これならば上手くいくかもしれないという実験をしたい。」と思いました。研究に真剣に向き合わずに遊んでばかりいた自分が何を言ってるんだと、自分で思いました。
そして、1年あれば確実に完成できるという確信もなく、それを絶対に実現させる、と言い切ることができない自分の決意の甘さに絶望しました。
結局、自分が留年したいと言っているのは、目の前にある、期限まで死に物狂いで頑張る、というツラさから逃れたいだけであって、大した覚悟もない、どうしようもない甘えであると気づきました。1年留年したところで同じことを繰り返すことになる可能性が大いにあると思います。それを自覚したうえで、今、動けていない自分がいます。研究を進めようとパソコンを開いて、ふと、死にたくなって、死に方を調べて、途中で思いとどまって、悪い考えを振り払うために動画を流して、研究に戻って、また繰り返して...。研究は一向に進みません。
看護スタッフの方や、カウンセラーの方は、考え方が真面目すぎると言います。しかし、本当に真面目ならこうなっていないのです。私は、苦しいことから逃れたい一心で、それらしいことを並べ立てているだけで、怠けてばかりいるくせに見栄っ張りで、どうしようもない人間です。
就職を考えていたため、就活もしており、内定をいただいて、その入社前研修も進行しています。会社の方には、まだなにも伝えられていません。卒業論文が通らなかったから、期限に間に合わなかったから、結果として留年する、ではなく、間に合わせることが出来ないから諦めて留年する、なんて情けない理由、到底理解できるものではありません。
留年をすれば、当然、就活もやり直しです。今年度は運よく内定をいただけましたが、来年度も上手くいくとは限りません。それ以前に、卒業できるかすらわからないのです。
先生に相談して、計画を立てて、指導を仰いで、卒論を期限に間に合わせる、多くの人が当たり前にすることが、私にはできません。こんな自分が、社会に出てやっていけるとは到底思えません。実際、カウンセラーの方にも、極端で、考え方を変えないとつらいままだと指摘を受けました。
情けなくて、つらくて、苦しいです。環境には恵まれているのに、自分のダメさで台無しにしています。こんな自分に時間を、お金を、労力を割いてもらうことが申し訳なくてたまらないです。
今の人間関係や居場所など、存在を捨てて、周りに迷惑をかけずに1人で生きていくことが出来たらいいのにと思います。しかし、生きている限り、誰にも迷惑をかけないということは不可能です。
それならば、死んでしまいたい。今までかけてしまった迷惑、与えてもらった恩を思うと苦しいですが、今後かけ続ける迷惑を考えたら、死んでしまった方が良いのではないかと。もっと早くに死んでいたら良かったのにと。
死ぬ方法を調べていると、自死遺族の方の声が目にとまりました。自死は周囲の人間、平均6人の人間に大きな精神的ダメージを与え、自死を止めることが出来なかった罪悪感を一生抱え続ける。後追いの話もちらほら見かけました。
死んでも迷惑をかけることになり、自分のせいで周囲の人を死に追いやってしまうのは、とても恐ろしく、本意ではありません。
結論としての気持ちがラベルの言葉なのです。消えてしまいたい。関わってきた人の記憶も、生きてきた痕跡ごとすべて、自分自身の存在を消し去りたい。
とはいえ、自分はその時にはもうすでに死んでしまっているのだから関係ないのに、とも思い、結局自分が本当は死にたくないのだろうな、と感じます。
保健センターへ行ったこと、カウンセラーの方との相談を予約したこと、SNS相談窓口に書き込んでみたこと、ここでこうして書き込んでいることも、全部、死にたくないからなんだと思います。
現在気持ちには波があります。今年中になんとか、いや来年中には、卒論のテーマを変えたら、違う研究室に移ったら、やっぱり自分には出来ないから死んでしまいたい、退学して働くのも手かな、転入・編入もある、通信制大学や放送大学はどうだろう、失踪してしまいたい。
たくさん、死に関することを調べました。考えました。
方法は?場所は?実行前の身辺整理は?葬儀は?遺書は?...
死にたいと思うのは、本当に自殺しないように心が先に自殺してあなたを守っている証拠。
自分だけのために生きることを考えてみて、すべてを投げ出して、自分勝手に生きることを考えてみても、それでも、自分だけのために死ぬことがベストアンサーなら、死んでもいい。
自死が失敗したら、後遺症が残って、また同じことを繰り返さないように監視されて、もう一度自死を試みるのも難しくなる。自死したあとに見るはずだった光景を目の当たりにすることになる。
そうしてまた、一日が終わっていきます。また、進むことも、終わらせることもできなかった。意志の弱さを恨めしく思います。
こんな日々を、一日でも早く脱したいな。
かなり長くなってしまったけど、最後まで読んでいただけた方がいるなら、嬉しいです。ありがとうございました。
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