私は心と身体が一致せず、辛いなと感じることがあります。
これは心の性と身体の性が…という話ではありません。
例えば大学がある日に、身体はしんどいから行きたくないのに、心は「行かなきゃダメだよ!」と追い立ててくることを指します。
風邪などを引いていればさすがに休めるのですが、生理でしんどい日などは、結局身体を引きずって大学に行ってしまいます。
(今までその状態でも、授業を受けてこられたからだと思います。)
親や友人からは、休んで良いんだよと言われますし、今まで一度も休んでいないので単位を落とすこともありません。
それでも、本当は休みたいのに、心が許してくれないという感じがします。
この症状は学校に行く以外に、休みに宿題をするときなどにも起こります。身体は休みたいけれど、心は宿題をしなさいと迫る感じです。
「休んだら、授業に遅れるよ」
「ノートを見せてくれても授業全部は分からないよ」
「行ってみて楽しい授業だったらもったいないよ」
「宿題をしなきゃ後々困るよ」
心の声は全部正論で、私も今までその思いを胸に生きてきました。
しかし、最近は心に反して休みたいと強く思います。
心に私の休息を許して欲しいと懇願したくなります。
心と身体の相反はどうしたら治るのでしょうか。
どうすれば休みを罪だと思わなくなるでしょうか。
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皆様、ありがとうございます。ちょうど長期休暇中ということもあり、この手紙を書いた当時よりは大分落ち着いて過ごしています。それにしても今読み返すと、かなり疲れていたんだなと驚いています。やりたいことも後回しでしたし、休もうラインはとっくのとうに超えていたように感じます。もうすぐ休暇も終わりますので、皆様からのお言葉を胸に授業に出ていこうと思います。本当にありがとうございました。
これは休息が必要だと思います。でも、学校を休んで、とかそういう意味ではなくて、自由な時間があると思います。その時に自分が好きなことをするとかそういう意味の休息です。自由なときに好きなことをするのが一番だと思います。僕みたいなものがなんか言っててスミマセン。
ななしさん
あなたの心に、もうひとりの自分を作りましょう。
正論をいう自分の他に、その正論とディスカッションするための、弱い心を守ってわがままも許してくれるもうひとりの自分です。
正論の逆の意見を、正論を言う自分にぶつけて、戦わせてみましょう。討論させましょう。その正論、本当に正論か?どうしてそれが正論だと思うのか?と常に問い続けましょう。
そうすると、かなり視野が広がりますよ。
自分自身の意見の幅も広がります。
オススメの方法です。
ななしさん
ありますよね。
私も似たようなところがあります。
私が以前聞いて「なるほど」と納得したキッカケがあります。
具合が悪ければ、無理して来るよりもきちんと休んで体調を整えるのが、今のやるべき仕事だ。
という言葉です。
休んで良しというボーダーラインを引くのが私たちのタイプには難しいですけど、無理をしてもなんとかいけるというのを基準にしていれば気が付かないうちに無理がきかなくなるほどになって結果的に大事に。ということもあり得ます。
その方がよほど周りに迷惑をかけてしまいますよね。
体調管理も仕事のうち。と言うほうが分かりやすいかもしれません。
目に見えない苦痛は、周りには分かってもらいにくいので余計に休み辛く感じてしまうと思いますが、身体を引きずってでもとか、心と身体が相反してここまで苦しむほど悩んでおられる時は、「休むことが今やるべきこと」なのだと思いますよ。
心が「ダメだ」という声は、実は自分が発しているものだとも言われています。
心と身体の相反の差は、それだけあなたが無理をしているというヘルプサインなのだと思います。
あなたがあなたを許してあげられるといいですね。
休むことは罪ではなく、むしろ必要なこと、するべきことなのだと。どうか自分を優しく納得させてあげてください。
あなたがゆっくりと、心から心身ともに休む事が出来ますように。
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