いつしか諦める
助かることとか、生きることとか。
その先に自殺の扉があって、
開いて
消えていく。
その光景を眺めながら、特に何をするわけでもないわたしは罪だろうか?
いつでも自分はあそこに逝けるような気がしているのは幻想だろうか?
あえてここに留まって、話しかけてくれる人を待っているような気もする。
「なにをしてるんですか?」
と、問われれば
「生きてる」
と、返す。
そんなつまらないやりとりでもいいなら、隣に誰か居てくれないだろうか。
自殺の扉の近くで生きてるのが今のところ落ち着くからここにいるんだ。
誰とも関わらないから「迷惑だ」って言われてないし。
たまにここを離れて「生きる」方に行くこともあるんだけど、合わなくて疲れる。やっぱりこっちが好きだ。
眩しいんだ。向こうはさ。
でもそこのあたたかさが心地良い時もあるよ。こっちの、冷たさが心地良い感覚とは違くておもしろいなと思う。
ま、結局、
好きなように好きな場所にいけるのがいいんだろう。……難しいから、「ここが一番落ち着く」ってひとつの扉の近くに長く居座ってるあたしが言うのも可笑しな話かもだが。
なんだかなぁ…
「助けて」の扉より
「死ぬ」って扉の方が軽くてびっくりすんだよなぁ。
そもそも「救いを求める」扉にそんな触れたことないけど。
扉の先見えねーから怖いんだもん。
経験がないのに、何故か予想は「救われない」だ。どの扉の先もどうしてかひとりぼっちな気がする。
だったら1歩引いて、歩いていく誰かの後ろ姿を見ていたい。わたしの存在など気にも留めず、好きにあっちへ行ったりこっちへ行ったり。そんな皆を見れたら幸せだ。
ただ、それをするために生きてなきゃいけないのが問題なだけ。
途中で書いたように、「生」の方にいんのは苦手だからさー。
はぁ、なんの話してるんだかまったく……
なんでもいいから言葉吐き出したいだけなんだよ。
読んでくれてありがと。
じゃあまたな。
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