この世はネガティブな人間を嫌う。
疎まれ避けられ排除される存在だ。
同調圧力の海に生まれ落ちた人間という生き物は、皆平等に『希望』という重荷を押し付けられ、『前』とやらを向かされる。
断言する。
ネガティブは消えない。
ネガティブは感情ではなく、統計だからだ。
1つ例を挙げるなら『ピーマンは甘いか?』。
甘いピーマンもあろう。だが君の口にしたピーマンの殆どが苦いものだっただろう。
好きか嫌いかではない。甘いか苦いかだ。
余談だが私は雲丹が嫌いだ。
初めて口にしてから幾年数回挑戦しているが、美味いと思った例がない。
しかし雲丹を愛する者は私のような者に決まってこの言葉を言う。
『美味しい雲丹を食べたことが無いからだよ』
一見普通の会話に聞こえるだろう。
だが警告しておく。
この発言をする人間には注意しろ。
先程も言ったが、ネガティブは統計だ。
歩んで、学んだ人生の教訓が人を形成する。
雲丹を人生に置き換えてみてほしい。
『美味しい雲丹を食べたことが無いからだよ』
『楽しい経験を味わったことが無いからだよ』
人の気持ちが解らない人間はこのニュアンスで物を言う。
そして、ポジティブを強要する人間が多い。
たかだか雲丹の美味しさを知る人間が勝手に悦に浸るという次元の話ではない。
これまで必死に生きた君の人生を真っ向から否定し、無意味なマウントを取り、自分のポジティブ感情の糧にする人間のテンプレート発言だ。
人が支え合うのは損得感情が一致した時だけだ。
それ以外は与え与えられ、奪い奪い合う生き物だ。
そして足を踏んだ者は踏まれた者の気持ちなど気にもせず覚えもしない、気付いてすらない。
だから無意識にこの発言をする。
余程の屑ではない限り、ボコボコに殴られた人間に対して『笑え』と言う人はいないだろう。
しかし相手の傷が見えない人間は、日常的に目に見えない傷だらけの心を『勝ったことが無いからだよ』と踏み躙る。
これがポジティブ強要だ。
君が本当に必要なのは地べたで膝を抱える君を高いところから見下ろしてくる人間か?
一度立ち止まって同じ目線までしゃがんでくれる友達じゃないか?
ポジティブの餌になるんじゃない。
ポジティブな人間の押し付ける圧倒的ネガティブな『優越感』というフィールドを放棄しろ。
人の人生の栄養の為に生きるような生き方をするな。
私はそれを薄情とは言わない。