言葉が溢れた海に砂浜に居れることが幸せだ。
憂鬱にもなる。苦しくも楽しくもなる。
悲しくも嬉しくもなる。
周りに誰もいない環境で、ここには人生がたくさんある。
死へと進ませる言葉より、〝生きる〟ことへ向かわせる言葉の方が多くて、嫌になったり頑張ってみようとしたりする。
そんな、生きる上で当たり前の葛藤を忘れさせないでいてくれる、思い出させてくれる……
この場所がやっぱり大好きだ。
自分対他人が大嫌いでも、人は大好きだから、絶妙な距離感でいれる場所にいたい。
醜い部分も美しい部分も愛しく思うから、そのどちらも感じられる場所にいたい。
だけど全ては受け取りたくない。見たくない。聞きたくない。無でいたい。
ここは、どんな自分でいてもいい気がしてる。
放った言葉が駄目なら止めてくれるから。
自分を客観的に捉えるのを、自分自身への判断や評価を、他人に一時委ねられる、甘えられる、任せられるというのは楽だ。考えて考えて考えてしているとわからなくなるから。そうして休んだらまた何か新しいことを考えられる。「死にたい」を内包して〝生きる〟ことに向かえる。今まで生きてきた自分でここに居られること、居ることに「ありがとう」と「ごめんなさい」を言うよ。この場所に来られたことに感謝していると同時に、この場所に来てしまったことに謝罪するよ。
だってわたしは、自分が嫌いな人間だ。
面倒で鬱陶しい、されど素晴らしい生き物だ。
こんな生き物が世界にはいっぱいいて、わたしはその内のひとり。ひとり多いだけでこんなに文字列が並ぶ。思考が溢れる。それは本当に凄いことだし、同時に本当に気持ち悪いと思う。綺麗の裏で汚くて、汚い裏で綺麗なんだもん。嫌になっちゃうし、好きになっちゃう。
ごめんね。わたしの存在がここに無ければもっと楽でいられたかもしれない。
ありがとう。わたしも含めみんなの存在がここにあることで、ここが、大好きで大嫌いな人の思考や感情が溢れる冷たくて温かい場所になってる。
ほんとうにしあわせだ。そう思えることが何より不幸で幸せだ。
ありがとう。今日も働き者の心臓が動いてる。
それじゃあまた明日も、誰かの言葉が紡がれますように──