そういうことに
なってしまった人に
無いのは敵じゃなくて、
味方になってくれる人の存在
じゃないかな、
と思います。
私が昔そういう心境だったとき、
自分すら自分の味方をしていなかった。
心ない物言いがいつのまにか
自分の頭の中に入ってきて、
何をするにも文句をつけるように
なってしまっていた。
他人に何がわかるんでしょう。
他人のことをわかると思って
好き放題言う人の言葉に
ひとかけらだって
真実があるのでしょうか。
当時はわからなかった。
私がどう感じるか、じゃなくて、
他人がどう言うか、
が全てだと思っていた。
だから、
この苦しみを
分からせてやりたいって思った。
好き勝手に言ってんじゃないよ、って。
でもそんなことしたって
誰も分かっちゃくれない。
だからしなかった。
というよりも、
思いとどまれる程度の苦しみで済んだ、
ってことかもしれない。
私は運がいいんです。
自分の抱えてる問題を、
あらかた解決にこぎつけることが
できたから。
毎日毎日
黙って耐えていたっけ。
ネットは見ないようにして、
世間からは外れて、
心ない人々からは距離を置いて…
それでも罵倒が聞こえる。
自分で作り出してしまった、
かつてどこかで聞いた、
心ない声の嵐。
今はもう聞こえない。
わからないということが
わからないという人たちがいる、
ということがわかったから。
あの心ない言葉で
本当に一線を越えてしまう人が
いるんじゃないだろうか。
あの言葉を使う人たちは、
そんなこと
考えもしないんだろうなあ。
くだらない。
くだらないよ、ほんとうに。
私はあの言葉を
ふるいとして使っている。
ためらいなく使うようなら、
心のシャッターを
ぴしゃりと降ろす。
見知らぬ他人への想像力と
愛を持ち合わせない人に、
割いてやる時間も労力もない。
どん底にいる人に
余計な苦しみを背負わせるようなこと
したくありません。