いらいらして学校で態度に出してしまった。
怒りを態度に出すなんて「怒ってるの察してそれなりに都合よく動いて」とおねだりしてるように思えて嫌だったので極力避けていたのに、自分に幻滅した。
授業中何十人か位にざわざわ言われていて集中できないし不愉快だし、気分が悪くなって吐き気が収まらないし手は震えるし呼吸は浅く荒くなるしでメモもまともに取れず授業も耳に入らずで、なんのために講義室にいくのか分からなくなっている。
少なくとも出席するためかな。
もう逃げて休めないからなあ。
次の授業は教室に入り鼻から不愉快なことを言われるしやっぱり授業中もさわさわしてて、
発表の途中に周りから茶々というか野次が入って声に苛つきが出てしまったし、
その時間だけグループ学習だったけど授業終了して直ぐにグループの他の人に挨拶もせずさっさと去ってしまった。私だめだ。最低。失礼すぎる。
仮に敵でも、最低限の礼儀くらいわきまえて接したかった。
こんな下らないことに流されてやりたいことやらなきゃいけないことをしない自分が嫌だ。
課題は片付けてはいても提出しに学校に行くのが嫌だというめちゃくちゃな理由で提出していなかったり。馬鹿じゃないのか。
もう嫌だなあ。
どこに行っても知られている人が。
避け続けて悪目立ちするくらいならばせめてぱっと見は馴染むように逃げないようにしなければなあ。
味方が欲しい。
私のひととなりにも大変問題があるからこう常に孤軍奮闘というか四面楚歌というか昨日の友は今日の敵というか…だめだなあ。
ということは私が私のひととなりに負けてるから問題が起こるんだよね。
だめだなあ。
どんどんだめになる。死にたい。
尊敬する人からかけ離れていく。
大学にも高校の友達はいるけど、その子が愚痴やのろけを言いたいとき、ひとりでできないことをするときしか関わってこない上に、
私がとんでもなく注目を集めてしまうほどだめだし、よりだめになるしで、大学で会っても基本的に他人のフリだし、
その子が行っていた車校に(特にその子がいるからではなく必要に迫られて)通おうかなと言ったら猛反対されたし、今は友達ではないかな。迷惑かけたくないし。かけられないようにちゃんと離れる人だから、実害はそんなに受けずにいるだろうけど、自分の知り合いがこんなんだったら見るの嫌だろうな。申し訳ない。知り合いだということが汚点だろうしなあ。
もう嫌だなあ。
なんだかなあーきっと私はどこでもこうなるだろうから私が変わらなきゃ。
飄々としてると言われるほど気づかない振りをしてあっけらかんとしてる演技して、周りがエスカレートしたから、態度に出すように変わってしまったんだろうけど、これは悪い変化だ。
どうなれば普通に過ごせるんだろう。
直接意見を言えたら何かは変わるだろうけど、周りも直接私に言っているわけではなく集団でざわざわしてるから、盗み聞きしたと責め立てられる可能性もあって面倒だから何も返せないし。
周りではなく、私が変わらなければならないんだよなあ。
愛想良くはできるけど、それだけだもんなあ素行もサボったりと良くないし。
どうなればいいんだろう。
名前のない小瓶
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お返事が届いています
名前のない小瓶
初めまして、小瓶読ませていただきました。
似たような経験を私も何度もしました。私は丁寧にやりたい、でもどうやら周りは適当にやりたいようで、自分の気持ちと周りの雰囲気がちぐはぐになり、一人で不快な気持ちを持っていました。
小瓶主さんのすごいところは、そんな自分をここできちんと振り返って見つめられているところだと思います。私にはまだまだできないことだから。
小瓶主さんのそんな真摯な姿勢を、見ている人はきちんと見ています。少なくとも、私は小瓶主さんの文章を読ませていただいたときに、「あぁ、この人が私の知り合いなら真っ先に手を貸してあげたくなるような人だな」と思いました。
お互いままならないこともありますが、気長に生きましょう。長文失礼しました。
ななしさん
私は、読んでいてダメな人じゃないと思ったよ。
人間だもの、喜怒哀楽あるもん。
そんな日もあるさ。
大事なのは、切り替えです。
寝て起きたら、「わたし」にとっては、常に新しい日です。
今日、本人なりにベストをつくせればいいと思いました。
自分のこと、自分で見えてる人は、希望があります。
なにかになろうと(フリ、振る舞う)しないで、素を出しながらやっていこう。
すぐ何とかしたい、変わりたい!という意識が、もしかしたらあるなら
(違っていたらゴメンネ)
焦りから、いろいろ本来の自分の気持ちに反した行動、振る舞いをしてしまいがちです。
まだ、若者だもの。
長丁場で、取り組んで行けば、きっと楽に生きれるようになると思います。
まいたん
ななしさん
とりあえず死にたいって口癖のように軽く言うのやめたら?
気分悪くして当然の態度を先に取ったのは相手だよね?
だったら言われて気分悪いんだ!ってわからせることの何がいけないの?
平気なプリするのは行為がエスカレートする可能性があるのに。
イヤならイヤ、ハッキリ言っていいんだよ。
ななしさん
投稿者さんからお返事きたよ
>まいたんさん
お返事ありがとうございます。
本当に焦りがあったのかもしれないと気付きました。
そんな日をもう続けないように、今日は切り替えます。
だめなりに今日はうまくいった、という日もごくたまにあるので、そういった日は参考にしつつも、
自分や周りを新しい目で観察して、自分を毎日少しずつ修正していけたらいいなとお返事を拝読して思いました。
理想なのでなかなか難しいけどまず行動をきちんとコントロールできるようにを目標に
最終的に楽に生きられるようになれたら嬉しいだろうな。頑張ります。
こんなに幼稚な内容なのに、とても真摯にこたえて下さって本当に感謝します。励まされました。
ななしさん
投稿者さんからお返事きたよ
>とりあえず~の方
口癖のようですか。もし不快にさせてしまったのならばすみません。
しかし、軽く言ったつもりではありませんでした。皆いつか時期を選ばず終わりを迎えるものなのに、死に「たい」と言うのは傲慢だと考え、この小瓶を流す前日まで私は常日頃自分は死ねばいいのに、死ぬべきだと思っていました。
そう考えているのに「死にたい」と言ってしまうほど錯乱していたのだと思います。
こんなに感情的で独りよがりな小瓶に目を通して意見を下さったこと、とても感謝しています。
私にとっては死にたいと考えることで、よくない方向に行ってしまうので、考えるのをやめます。最終的にはいつか死ぬのですしわざわざ選択肢に入れなくても良いことでした。
本文では自分の不快な感情にのみ焦点を当てて考えていたのでまるで周りを悪者呼ばわりしているようですが、それは私の未熟さのせいで、
実際は本文のような態度をとるのには、原因があると思いますし、私に向けてあからさまに悪意をもった行動を間接的でも投げかけることが出来るほど、私も相手を不快な思いにさせ傷付けてしまっているのだと思います。
自分のどの部分が相手を傷付けてしまっているのかはっきりはわからなく、またそれがわからないことも私の問題点であると思っています。
だから、私が気分が悪いことを相手に押し付けてしまっては、私に何かを訴えたかった相手の意を全く汲み取らないことになり、相手もより傷付くのではないかと思う部分もあります。
単純に、直接言われているわけではないので、私は言うなれば第三者なのだと考えています。
聞こえる内容が私のことで、私がそれに対しどういう感情を抱くかは私の自由なのですが、
相手は私に向かって話しているわけではないので、口を出し第三者が関わることは野暮だと思うところもあります。
そう思うならば、この出来事自体本来は胸にしまって置くべきですね。こうして小瓶にして流したところで第三者が人の話していたことを盗み聞きして噂として吹聴してしまったことになります。筋が通らないことをしてしまいました。
自己完結してしまったところもありますが、もし直接言われたならば、そういったことをされるのは嫌だということと、相手が言っていることのうち明らかに情報が間違っている部分の訂正と、できれば何故そういった態度をとるのかを聞きます。
とても親身にお返事をしていただきたいへんありがたく思います。
ななしさん
それなら逆に孤高の人になってみたら?
ななしさん
投稿者さんからお返事きたよ
孤高について考えてみました。
きっとひとりで何でもできればきっと周りがどうでも関わる必要もなく、互いに安らかに過ごせるのではとは思います。
私には周りとうまくやらなくては、結局のところ自分がより困るからという
他人任せな意識があるのだと気付きました。
孤高と言えるような優秀さも強さもなく、人の中でもまともに過ごしていけないのに、人に頼ろうとする傲慢さ故に、周りが周りがという風に言ってしまいました。
愛想を良くするのも礼儀だという意識もありますが、きっと、「馬鹿にされていても憎まれなければ何か手助けをしてもらえることもあるかもしれない」という思い上がりと怠慢さと媚びが主な動機となっています。
そういった卑屈な意識では自分から何か行動することもなくだめさが深まる一方なので、本当に、それができることなら他人や他人の反応に依存しない人間になりたいです。
自分の性格や行動が固まってきていて、頭で思うこととは結び付きづらくなってきて自分に挫折しかけています。
自分が毎日だめで嫌なのですが自分は自分にしかどうしようもなく自分をなんとかするための決まった方法などがあるわけもなく、自分で考えなければと、何か答えに近いものを見つけられそうな本を探しては読み、納得する部分があっても、実践するという自分の決意も環境などで揺らいだりし実践し続けることはできず、
本などは個人の思想の違いだけでなく書かれた時代の背景によっても考え方がどんどん変わってくるので、
より普遍的な答えはないことに絶望しかけ、
他人とまともに関われてもいないため生身の人から学ぶこともできず…
とできないできないと嘆いているばかりで、
「孤高の人になってみたら」というお返事をいただいて孤高について考えるうちに、自分は結局他人に頼ろうとしていたのだとわかり自分にショックを受けています。
過剰な自意識、他人への依存、無責任、怠惰が結局のところ自分をここまでだめにしているので、これをまず正していくことが必要だと再認識しました。
群れないことを目指しているわけではなく、それなりに普通に過ごしながらも他人にあまり頼らないでやっていけるような人が理想です。自分とは正反対です。
他人に依存する心を断ち切れないから、甘いことを言っているのかもしれませんが、
人とうまくやっていけるけれども関わらず頼らない人と、
人とうまくやっていけないから関わることを避けて自分のことにだけ打ち込む人とは、
全く違うと思うし、前者をこそ「孤高」と呼ぶのだと思うので、
私が孤高の人になるためには、
まず周りとうまくやっていけるようになることが必要だと思うので、
私が「孤高の人」になることは少し難易度が高く思えます。
なので、やはり、人とまともに関わることも必要だと感じるので、私はまずはじめに普通を目指すべきだと考えています。
欠落している部分が多いから普通の中でもあぶれるのであって、そんな人間が孤高なんていう高尚な人にはなれるようには思えないので。
すみませんえらく長くなってしまいましたが、それだけこのお返事で色々考えなおすことができた(言い訳がましいですが)のでたいへん感謝しております。
お返事ありがとうございます。
ななしさん
こんにちは!
普通を目指します!という結びの文があったのに、
出ばなをくじくタイトルで申し訳ないのですが、
おススメの本があります。
(私はいつも,これを紹介する人間です)←まわし者じゃねーよ!
「普通がいい」という病 泉谷閑時 著(講談社現代新書)です。
精神科の先生の本です。
私はこれがバイブルで,折りに触れ読み返す事が多いです。
主さんがおっしゃっていた、
「いいこと言ってんだけど、著者がこれ書いた時代背景と今って
違うから、参考にならないんじゃねーの?」の疑問も
恐らく解消すると思います。
主さんの悩みと核心が近い悩みは、相当、大昔から同じようにある、と
いうこともわかります。
そして、そのトンネルの抜け出し方も、普遍的です。
(でも,自力!。そこは,いつの世も同じ)
この著者の本は,他の本もおススメです。
もし、よかったら、読んでみてね。
(アマゾンのブックレビュー辺りから,検索してみてもいいかも)
まいたん
ななしさん
小瓶主さん
思考が袋小路に入り込んでしまってませんか?
自分の理想に一歩でも近付きたいという心の叫びと受け止めました。
ご意見は色々おありになると思いますが、ご自分を理想へと押し出されるその思考の仕方は素晴らしい力だと思います。
けれど今の主さんはお持ちの力を上手く行動に結びつけられない。
少しご自分を俯瞰して見て「やり過ぎていないか」「考え過ぎていないか」「追い詰めていないか」検討なさってみて下さい。
過ぎる、のは単なる思考の癖です。
せっかくの良さも過ぎれば自分を苦しめます。
緩めること(深呼吸、しっかりした睡眠、散歩、お料理、草花の手入れなどなど)を是非選択肢に入れて下さいね。
自分の癖を知れば、別の選択肢に気がつきます。
一度『エニアグラム』のタイプチェックをやってみられることをお勧めします。パソコンですぐ出ます。
まいたんさんがお勧めの本も是非ご覧連になってみて下さい。
冬
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。