最強寒波襲来だそうだ。きっとまた死者が出ることだろう。
このお正月も例年の如く、お餅を詰まらせて死んだ人がいた。
年が改まってひと月経たないけど、既に死んだ人はいるし、
これからも死んでいく人がいる。
自分が死者の列に加われるのはいつだろう。
四方八方から不適格の烙印を押され、迷惑だ不愉快だ近寄るなと
目線で態度で示され続けるのに、自殺はいけないことだという。
なんなんだろうな。あずかり知らないところで勝手に死んでろって
言うならまだしも、飼い殺しにしておいてお荷物扱いとか意味が分からない。
足を切り落としておきながら、何で歩けないんだ、走れと言われ続けているから
これが世の中なのだなと思っているけど。本当は口もききたくないのに
やさしく思いやりのある言葉を並べるのは物凄く忍耐がいるだろうし、
尊敬の念も抱くけれど、申し訳ないし、勿体ないから別の人にどうぞと思う。
やっぱりさっさと死ぬべきだな、目標額を決めて、達成出来たらにしようか、
もっときっちり身辺整理をしたいと思って無駄に時間が過ぎてしまった。
それでもこの年まで生きてきて、ぼんやりと分かったことがある。
苦しみの原因は、自分にあるということだ。喜んで認めたくはないが。
たぶん外れていないと思う。これほどまでに生きづらいのは、
自分に原因がある、悪いとかそういうことではなく。
潜在意識がもっと自分でコントロール出来たら、だいぶ違ったんだろうか。
生まれ変わりがあるならきっとまた、生まれなければならないんだろう、
自分にはあまりにもやり残したことが多いから。
出来るならもう消滅したい。死んだら終わりという説が自分に当てはまることを
切に願う。子供のころから不死を願う人が不思議でならなかったよ。
出来損ないの自分にも、達成できたこと、それは子供をつくらなかったこと。
本当にこれだけは絶対に絶対に間違えたくなかった。自分にはとことん向いていないと
子どもの時に悟ったから、これは達成できてよかった。
こんな遺伝子を残さずに済んで、それだけは世のためにできたことだ。
これから地球はどうなるんだろう。生きたい人たちが幸せに生きられるといいけど。
苦しみに覆われていて、晴れた日の空も灰色だったけど、それでもときたま
いいこともあった、どうもありがとう。
はやくおわれるように、すこしでもはやく。