一昨日、後輩が亡くなったという連絡が入った。部活で一番可愛がってた後輩だったと思う。コロナと受験のせいで部活に顔を出すことができなかったから、最後に会ったのは多分3年前のなんでもない部活の練習日だったような気がする。もう、それくらい会ってなかった。
彼は今年の暮れ辺りから体調を崩していたらしく、学校も休学してたらしい。そして一昨日、意識が朦朧としていて、ちょっとしたはずみで事故に遭遇、そのまま帰らぬ人となってしまった。私は今でもその事実を飲み込めていない。
彼は口数が少なくて、写真に写るのも嫌がるほどシャイな子だった。だから、私が持ってる写真は顔を隠してる写真か隠し撮りした写真しかない。それとボックスを踏むことやダンスなどの体を動かすのが苦手で、動きがぎこちなくて可愛かった。だけど、自分をちゃんと持ってて、サックスやピアノも弾ける多才な後輩だった。先生含めて皆から愛されてた。めちゃくちゃ猫背なのが目に見える彼の特徴で、合唱部だったので、その姿勢を矯正するために自分が先輩から教わった方法で色々努力したのを今でも鮮明に覚えている。その時は彼が入って間もない5月だった。
結局、私が卒業するまで猫背は完全には改善しなかったが、自分が3年生になったときに彼の歌声を聞いて入ったときと比べて格段に声が出るようになっていて、その成長がすごく嬉しかった。
自分の卒業後、彼とは全く連絡をとっていなかったから、彼が休学するほど追い込まれていることを知らなかった。連絡を取らなかった理由はそもそも高校の時からお互い連絡をとる仲ではなかったためだった。先ほども述べたようにあまり口数が多い子じゃなかったから、もしかしたら学校でうまくいってなくてそれで体調不良になっちゃったのかなと思うと心が苦しい。卒業後、一回でも連絡をとろうとしてたら、いまこんなに後悔することもなかっだろうし、彼も色々吐き出せただろうと思う。連絡を取らなかった理由が理由なだけに、現在もちょっと暇になるとすぐこの後悔に苛まれている。
亡くなってしまったこと、それ自体も自分にとってショッキングな出来事だが、もう彼に会えないことがなによりも悲しい。彼に関する全ての可能性が0になってしまうことが、自分にとってこんな辛いことだとも思ってなかった。
あの時、こうしておけばよかった、こう言えばよかったといった類の後悔は実際に遭遇するとどうしようもなくつらいということをこの出来事で知りたくなかった。
これからはこの類の後悔をしないためにも今を精一杯生きて1日満足できるように生きていくことが大事なのかもしれない。しかしそれと同時にその類の後悔に遭遇したときにそれを自分の中でどのように消化するのか、そのプロセスを考えておくこともまた重要であると後悔に苛まれている今は思う。ただ、今の私にはこの際限のない後悔の前に立ち尽くすのみで消化する気力も起きない。
近いうちにご遺族のご迷惑にならなければ自分の中で彼の死を事実として飲み込むためにもお墓参りに行きたいと思う。そのときは話を聞いてあげれなくて、連絡しなくて、先輩らしいことができなくて、本当に申し訳なかったと言おうと思う。とはいえこの言葉は彼がこの世界にいない今となってはただの自己保身の言葉としてしか響かないのが虚しいばかりだ。彼がいなくなる前に行動しておけばよかった。
つらい。