今日はとても忙しかった。
昨日、急にイレギュラーな業務が突然に入り、今日はとても忙しかった。
その忙しさは、誰かの命がかかったいた。
その命の持ち主にとっては、生まれた時から今日まで、ずっとずっと待ち続けた出来事に違いない。
その命の持ち主の周りの人達にとっても、きっとずっと待ち望んでいた出来事なんだと思う。
今日の私の忙しさは、誰かの命を繋いできた時間だったんだ。
初めて理解した。
その事を理解した事で、今日の自分の忙しさは、私の長い人生のほんの、ほんのひとときの忙しさだと、心から理解した。
比較しても仕方がない、私は私、その命の持ち主とは違う。そうなのだけど、
私の頭がイメージする。
その命の持ち主が、長い間、どんな思いでこの日を待っていたのだろうか。
私の感情が加速する。
その命の持ち主の周りの人達が、これまでどんな思いで過ごしてきたのだろうか。
私の心が熱くなる。
今日、私が忙しい1日で良かったと。
何歳になっても、気が付かされる。
誰かの時間を奪ったり、誰かに時間を奪われたり、誰かに迷惑をかけたり、かけられたり。
それは苦しかったり、申し訳なかったり。
でも今日、私は気がついた。
私の時間を奪ってくれてありがとう。
私の予定を狂わせてくれてありがとう。