19歳のフリーター女です。
毎日死にたいと思いながら生きてます。
死にたいと思う理由は生きてたら辛いし、
生きてる意味がないから。
そんなことで死にたいの?って言われそうだけど
そんなことでも死にたいと思うくらい
追い詰められています。
私は小学五年生の時に
親がうつ病になり殺されそうになりました。
首を絞められ、手首は切られ、何度も意識を失いました。何年も前の話ですが、いまでもはっきりと
覚えているし何度もフラッシュバックします。
私がまだ生きたいんだと泣き叫んだら
親は正気に戻り救急車を呼んでくれました。
そこから入院し、児童相談所に行き
その後は児童養護施設に行きました。
5年生からなにもなく中学生になり
中学2年生になった時、そこから私はおかしくなりました。
毎日泣くのは当たり前、過呼吸にもなり、さらにはリスカも何度もしました。
中学三年生から精神科に通うことになりました。
通い始めた理由が児童相談所のケースワーカーから
の『 精神科行ったら?』の一言でした。
悪い意味は無いと思いますが、
何も知識がない私からしたらその一言は
正直嫌でした。(言葉をストレートに言うケースワーカーでした。)
精神科に行き始めたのはいいけど、
診察の時は毎回泣くし、正直行っても意味あるのか?
と思っていたし貰った薬もODしたりしていました。
話は変わって3年生はずっとやっていた部活が
楽しみだったのもあり、なんとか学校にも
行けてたしなんなら楽しみでした。
高校は全日制の高校に行きましたが、
1年生の夏休み後から行けなくなりました。
2年生からは通信制の高校に通い、卒業しました。
中学から保育士になりたい夢もあったので、
通信制の大学に行きましたが、それも無理でした。
そして今A型事業所で働いています。
今年は一人暮らしが始まったり、
バイトをやめて、A型事業所で働くようになったり、
生理不順が続いてたため病院に行ったら
病気が見つかって手術をすることになったりなど
まだ今年は終わってないですが大変すぎました。
言葉ではあまり辛くないように聞こえるかもしれないけど、本当に辛かったです。
生きてる意味がないから死にたいと言っても
生きてる意味がなくてもいいから生きてみたら?とか
そんなこと言われてもじゃあどういう思いで
こんな辛い毎日を生きればいいんだよって思います。
自分の辛さが他人には完璧にはわかってもらえないのもすごく分かっているけど、何かを求めてしまいます。ここ数年はリスカをしていなかったのに、さっきリスカをしようとしてはさみと包丁を手首に当てました。でも自分には怖くて無理でした。中学2年生の時にはできてしまっていたことが今はできなくなっていて、なんか安心した自分もいます。きっと精神科や周りの方たちのおかげです。
生きるのが辛くて、死ぬ方法を調べたり自傷行為をしてみたりしてる方達にこんな私からですが、伝えたいことがあります。その痛みや辛さは自分にしかわからないものです。それは何をやっても変わらないのが現実です。ですが、逆に自分しか分からないものだから人と比べる必要なんか全くないし自分でしか傷を癒せないです。だから休みたい時は休む。泣きたい時は泣く。やりたいことはやる。そうやって自分に優しくしてあげてください。周りの人が理解してくれなくても自分だけは自分のこと理解してあげてください。今が辛くてもいつか絶対に幸せになれます。今はその時までの時間つぶしです。この文を読んでいる方がこれからも頑張らずにのんびりとゆったりと生きて行けますように。
ここまで読んでくれたあなたに幸せが訪れますように。今すぐに苦しい気持ちが無くなりますように。
ありがとうございました。
187062通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ニンニクダイスキオナカヨワメ
しんどい30代です。
きのう、仕事を休んでしまって、いま出勤途中の電車の中で、あなたの手紙を見つけました。
ありがとう。
少しだけ、今日いちにち、乗り越えてみようと思えました。
ありがとう。
ななしさん
私も自分のことを話したくなってしまいました。
私は小学1年生の頃、宿題のプリントで間違えると、消しゴムの跡が残っていると、殴られました。
それにとどまらずいろんなことをされてきて、小学6年生のときに、ホウキで身体中を叩かれ、踏みつけられ、寝巻きのまま、裸足で、家の外へ追い出されました。このときはもうムリだって、コンビニに駆け込むか側の公衆電話で警察に電話するか、明日学校の先生に相談しようと思いました。でも結局、パジャマの柄が恥ずかしくて中々人前に出られずに迷っている間に、母が迎えにきてしまいました。翌日は、先生に相談する原稿まで書いたのに、実際に担任の先生を見ると怖くて(強面の担任だった)話せませんでした。
この頃は、うちの中で行われていることはどこの家でもあることだ、愛情なんだって思っていました。また、自分と両親が他の兄弟と違って血が繋がっていないことを知ったのもこの頃です。
中学生になってからもそんな状況は続きましたが、あるとき、先生にポロっと愚痴をこぼしてしまいました。そしたら呼び出されていろいろ聞き取られました。そこで、それは普通じゃない、やってはいけないことだ、などと先生から言われてやっと、自分の家は異常であることに気づきました。心を守るために、無意識にそう考えるのを避けていたのかもしれません。気づいてしまったらもう今まで通り耐えることはできなくて、先生の前で泣いてしまいました。
そして児童相談所の人が来て、今後のことを話し合いました。児童相談所は私を保護しようとしていましたが、私の状況を考えるとそれはムリで、親との話し合いのみで私は帰ることになりました。
高校生になった今でも、家にいると息が詰まりそうなほどです。
よく、「追い出されたあのときに逃げていれば良かった」「難しいこと考えずに保護という提案に乗れば良かった」「もっと早く相談していれば良かった」とかいろいろ考えては後悔しています。
学校の授業で「家族」や「児童虐待」について扱うとき、教科書に書かれていたりする家族や、先生やクラスメイトたちが当たり前のように言う家族の姿や関係を聞いて、自分の家族を考えてしまってそういった授業を受けるのもしんどいです。
でももう遅くて、高校を卒業するまではこの家で耐えないといけないし、記憶にもこのあとも散々悩まされるだろうし、後悔ばっかりの人生なんです。
あなたの小瓶の後半の文章に、思わず涙が出てきました。
ありがとう。
しうまい
泣けてきた。
言葉では表せない苦労とか
しんどさってあるよね
ぼくもしにたいって思うことあるけど
空がすごく綺麗な時があってね
その空見たら元気になるの
ぼくのこの理由はしょうもないかも
しれないけど、生きててよかったって
思えることは必ずあるから
無理しないでね。
名前のない小瓶
「自分だけは自分に優しく」って、実はとても大切なことだと思います。
周りが殺伐としているからこそ、自分に優しくしないとですね。
ななしさん
とてもとてもつらい経験をされたのですね。
それなのにずっと頑張って生きて来て、他の人の事も思いやれるあなたはとても素晴らしい素敵な人だと思います。
そんなあなたにこれから良いことがたくさんありますように。
ありがとうございます。
ななしさん
ありがとう。私生きます。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。