人は思い込みだけで、うつ病にかかるのでしょうか?
人はいじめられているという思い込みだけで、自殺できるのでしょうか?
よく、いじめたと疑われている人は相手の被害妄想だと言いますが、何も障害もない普通の人がいきなり被害妄想に陥るものですか?
すぐ傷ついてくよくよする人は嫌い、ウザいと言う人がいますが、やはりみんなそう思うのでしょうか。
名前のない小瓶
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お返事が届いています
烏羽
さて、大分時は立ったと思うが、今の主さんはお元気だろうか。
まあ、無理に返事が欲しい訳でもないので、それはそうとして、書きたい事に移ろう。
残念ながら、それが思い込みや被害妄想だとしても、思った事は思った事として存在する。
そして、いじめた当事者が被害妄想だと、相手へ言っても、思っていたとしても、それこそが思い込みの可能性もない訳ではない。
思い込もうとしている可能性や、自分自身から関心を晒そうとしている可能性がない訳でもない。
自体の重さを理解できなかったり、隠そうとしている事があるのかもしれないし、素直だったり、素直なつもりでも少し動揺しているかもしれない。
いじめを受けた方は少なからず、いじめられる事に敏感になってしまう傾向があるらしい。
自分を守るためなのかもしれない。しかし、それが時に被害妄想と呼ばれるものにも繋がりうる事がある。
当事者が被害妄想だと思っていても、時にはフラッシュバックに悩まされたり、それ故に考えたくもないのにとても気掛かりで仕方なかったりと、当事者を苦しめる要因になる事もある。
度合いもあるかもしれないが、思い込む事での苦しみはあるだろうし、心の傷を負った場合、当事者がそうやすやすとどうにか出来るものでもないというか、虐めの重さが少しでも伝わるだろうか。
とにかく、どうしたいかの思いはあれこそ、それらの理由から、どちらかに肩入れせず、中立を保とうとしていなければ、真偽は見え辛いかもしれないな。
かといって、中立だからこそ必ず真偽のほどがわかる、という訳でもないのだが。
なぜなら、同じ人間である以上、前述のいじめる側やいじめられる側で起こる状態に似たような事は、程度の大きさこそ違いはあれども、意外と日常の中でも、よくある事だからだ。
それを自分の為にも、誰か相手のためにも、理解しておく必要があるかもしれない。
俺自身、失礼ながら、ウジウジしているのを見ると焦れったいと思った事はあったりする。
ただ、それはあくまで俺自身が、自分の思った中の推測から思った事であって、誰かへの実質的な価値や評価を決めるものではない、と思っている。
いわば、思った事は単なる思いの1つという訳だ。
現実と違えば思い込みになるかもしれず、違わなくても思い込みという枠を外れるものではないのかもしれないと思っている。
思い込み、と言えば聞こえが悪いかもしれないが、大なり小なり、思い込む事、決めつける事、信じる事、推測する事で会話が成立している部分もあるのではないかな。
1つの考え方としてそう考えてみれば、思い込みは人の基礎のようなもので、それが肥大すれば被害妄想に陥ってしまう事も、人間としては当然の、普通、正常の範疇であると思うよ。
だから俺は、まあ、くよくよする事をめんどくさがりはするかもしれないが、被害妄想は大した事なく思う。
くよくよする事も、被害妄想も、俺自身にもあるし、日常の中で誰かに垣間見る事もあるし。
ウザイだとか嫌いだとか思っても、自分が相手に手を出された訳でもないなら、危害を加えられた訳でもないなら攻撃なんかしないよ。
だけど、その中で、時には害を加えられたと思い込んだり、憤りに飲み込まれたりする場合もある。
そうして、あらぬ他人にあらぬ危害を加えてしまう事もある。
注意していても、注意している箇所がいつも何時でも保ち続けていられるかどうかと問われれば絶対じゃない。
注意していても、注意していない、意識していない、意図していなかった所が、誰かの心に引っかかってしまう事もある。
そして、相手もそれは同じかもしれない。
気を付ける事が無駄かといえばそうでもないが、後悔や悔やみ続ける事がどれだけ自分の足を止めてきたかなら、身を以てしてわかる。
悔やむな、という事を言いたいのではない。寧ろ泣ける時には思いっきり、泣いた方がいい。耐え切れなくなったストレスを吐き出してくれる。
悔やんでも悔やみきれない事はあるだろう。
だけど、自分が悔やみきれないのは、まだなんとかしたい思いがあるからこそなんだと思った。
だったら、もしそうなら、どうしたらいいのか考えるためにも振り返って反省し、いつ来るか、来ないかもわからない、次の似たような機会に備えてもいいと思った。
悔やみ続けて立ちすくんでいても現実は何も変わらない。
自分のせいにする訳でも、自分一人だけで何かしろって訳でもなくて、自分から、自分自身が自分に対して出来る事から変わるのが、大切なんだと思った。
被害妄想にも似たような事が言えそうなんだけど、鬱って、どうしようもなく落ち込んだ状態が、通常の状態になったというか、思考のベースになったというか、それを基本に動くのが当たり前になっている状態…、なんじゃないかなと思う。
だから、実際鬱になると動く気力も薄くなるし、前向きになろうとしてもとても難しくなる。
前述の、俺が反省として活かそうと思えたのも軽くなってきてからみたいだったし。
その点で変えようと思ってもなかなか変える事は難しいかと思うので、もし自分自身で鬱を治したいと思えたなら、家族やらに頼ったり、ちょっとずつ行けそうな医療機関を調べたりして、カウンセリングを受ける事も重要だと思う。
ただ、そういった、鬱や被害妄想的な状況を理解していない、知らないために、慮る行動が取れない人というのもいる。
全ての人が、うざいとか嫌いだとか思ったり、それで遠ざかる訳ではないにしろ、いるにはいる。
そんなの関係なく、心に引っかかる状況もある。
上手くは言えないが、思いやりのために、それを心に留めておく必要はあるかもしれないと思った。
ななしさん
「そんな悩み対したことない。もっと大変な人たくさんいる。」
うちの母が私が辛いことがあったときよく言ってますが、例え些細なことでもどんなふうに感じるかはその人次第じゃん!なんで分かってくれないの!って凄い悲しくなりました。
職場に物凄くこだわりが強すぎて頑固な人がいるのですが、あまりにも度が過ぎるため周りから孤立してる人がいました。
うつ病になってしまい会社を休んでしまいました。
その人は周りからイジメられたと言っていたし、確かにみんなから避けられていたけど周りは何を言っても無駄だと思ったから離れて言ったんだと思います。
すぐ傷付いてクヨクヨしてる人は嫌い=この人の苦しみに共感出来ないってことなのかなぁと思います。
思い込みでうつ病になる事もあると思います。
思い込みで自殺もあるかもしれません。
イジメをやる人ってこんな事をしたら相手はどう思うだろうか考えることも出来ないし、こいつはこういうやつだから嫌われても仕方ないとか思ってそうです。
職場の物凄くこだわりが強すぎて頑固な人を見ていて思ったのはこれでは周りと上手くやっていけないだろうし、鬱になっても仕方ないだろうな。
これでは生きづらいだろうなと感じました。
ななしさん
かかると思います。病は気からと言うでしょう。気って自分の気持ち、気分だから。被害妄想は誰だってあるでしょう。ただ、くよくよがうざいのは巻き込まれたく無いから。自分も同じ様になりたくないから。過去に自分もそうなって戻りたく無いし、見たくないから。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。