毒親育ちの私は、どの人も自分を大切にしてくれないのが当たり前でした。
カースト最底辺として、誰からも無視されました。
………
中学二年の時、数学の授業は、それまでの男の先生から、おばさんの教師に変わりました。
地獄が始まりました。
私は数学が苦手で、よくわざと当てられました。
当然答えられません。
最初は数学の授業中ずっと立たされていましたが、どんどんエスカレートしていきました。
私と、もうひとりの男子が、男女それぞれ生贄として選ばれました。
その子もわたしとおなじ毒親育ちらしかったです。私達二人はクラスでも大人しい、いじめられっ子でした。
彼の頭は、フケをむしりすぎて血だらけのハゲだらけでした。
そのおばさん教師は、答えられないと、私達をずっとビンタし続けたのでした。1年間ずっとです。
私達は1時間ずっと立たされたまま、容姿や性格をけなされるその一言が終わる毎に一発、一言罵りまた一発、とビンタされ続けていました。
自己肯定感の低い私達は、感情に蓋するくらい当たり前にできたので耐えられたのです。
私達男女一人ずつの生贄二人はとても従順で、優れた生贄でした。
どれくらい優れていたかというと、その事を誰にも言いませんでした。
中学二年の三学期のある数学の授業中、校長先生がこっそり見に来ていたのを私は見ました。
………
それからは、ごく普通の数学の授業になりました。
きっと、クラスの誰かが、自分の親に話したのだろう。
その誰かの親は、たとえ、「近所でも、有名な変人家庭のあの子」が先生から叩かれるのは当たり前とは思わない、おかしいことだと思ってくれるまともな親だったのだ。
いや、今までこれが当たり前だと思っていたが、実は異常だったのだ…。
カルチャーショックくらいの衝撃を受けました。
僅かな平和な数学の授業の日日はすぐ、進級で終わりを迎え、
そのおばさん数学教師は我々の学校からいなくなりました。
やめたのか移動したのかはわかりません。
読んでくださっで、ありがとう。
誰かが読んでくださったと思うと、古い傷が癒やされる気がします。