YouTubeにて、一軍の下位と二軍のトップの入れ替え戦をネタにした1本の動画が流れてきた。メイク動画しかみない私にとって、その動画はおすすめ欄において明らかに浮き物であり、見慣れないものだっため、思わず無心でタップしてしまった。
結果的に、最後まで見ることは出来なかった。そもそも、毎日のようにスクールカーストを気にしては劣等感や優越感を感じている私の肌に、それをエンタメとして受け入れる余地があるはずもなかった。
スクールカーストという曖昧な序列。しかしそれは高校生活、果ては人生そのものの明度を表しているような気がしてならない。
そんな感性を得てしまったある日から、私の学生人生は一転した。
自分より下だと感じる者に対しては、少し蔑みの思いを持って接してしまうようになり、上だと感じる者には優しく明るく接する…というように、明確に人によって接し方が変わるようになってしまった。
さらに、推しの事務所でもカーストを考えながら見るようになってしまい、もうどうしようもない成れの果てである。
この基準は本当に曖昧だ。顔の善し悪しや友人関係などであっという間に変動する。そんな物に私は一生囚われている。
私は、二軍という最も人口が多く、最も中途半端な種だ。飛び抜けて可愛い訳でもなければ、大勢の前で何か面白いことが言える訳でもなければ、皆に誇れるほど頼りになる訳でもない。でもその逆でもない。
確実に私の下にはまだ層があることも分かるが、上に大きな床がある事も何となく分かる。
私は一軍のキラキラ感が羨ましすぎる。あの世界にどうしても行きたい。
一軍という特権はとてつもなく大きい。学校内にいるときの気分や可能な行動の範囲が二軍以下と大きく異なる。しかし、あの場に立つ人間は何か武器を持っている方々ばかりだ。威勢があるだけでは一軍に残り続けられないことは今までの学生生活で十分身に染みてきた。
そんな私は、一軍になりたくて仕方がない。一生懸命話しかけてみたり、スカートを折ってみたり、筆箱を可愛くしたり、マスクを取ってみたり…でもどこか、“真似事感”―“痛さ”が抜けない。垢抜けきれない。
つまり、私にはあの場に立つポテンシャルもルックスもセンスもない。きっと何か明確に掴みきれていないものがある。そういう結論に至る度、私に大きな劣等感が突き刺さる。
こんなものに囚われてる私も情けないし、日々キラキラの陰になる自分が嫌いだ。
あーあキラキラな人生に生まれ変わりたい。
ななしさん
スクールカーストに囚われると、本当に魅力のある人、人間的に素晴らしい人を見失います。
数十年経つと、人間の真価が見えてきます。
スクールカーストという一時的なキラキラ感に惑わされませんように。しっかりと着実に自分の人間性を磨くことに集中すれば、本当に人間として優れた人が見えてきます。
学生時代いわゆる一軍であっただろう人たちが、その後も薄っぺらい価値観で生き続けて30代40代迎えたときは悲惨です。その年代になってもレベルの低い人たちに囲まれレベルの低い会話に興じてます。その姿は哀れです。
そうはならないで。一時的なキラキラ感に惑わされて本当に大切なことが見えなくなりませんように。
これは私が過去に戻って10代の私に伝えたいことです。これを教えてくれる人が切実に欲しかった、自分の学生時代に。
小うるさいこと言ってごめんなさいね。