日本だと、現実でもネットでも、言ったらコテンパンに批判されるであろうことを書きます。はっきり口撃されなくても何かしらダメージになることを言われるのが日本では普通だと認識しています。少なくとも私の周りはそうでした。自分の女性としての魅力についてです。
私は生まれ育った環境で親や兄弟から、醜い者としてずっと扱われてきました。そのための自己嫌悪ががっつり根付き、今見れば普通に可愛らしかった少女時代も、地獄のような表情で、家族以外からも価値が低い者として扱われて育ちました。
思春期や青年期に、社会から受け入れられるような外見になるように努力して、異性からの関心を得ることが出てきても、頑なに「蓼食う虫も好き好き」「中には変わり者もいる」「体目当て」と、自分が信じる自分の外見の評価に合う考え方を選択し、私は外見は醜いけれどそれ以外で強みを持とうと、努力してきました。
ただ、周りの女性からは常に外見の優れない者として扱われ続け、またはそのような人を周りに置いてしまっていました。そのため、たまに紹介のような話があっても、必ずその人の彼氏よりも格段にいわゆるスペックの低い男性を紹介されて、それも自分の女性としての価値を裏付けるものとなっていました。
ところが、適齢期が来ると、一般的に一番好ましいとされる部類の男性から好意を受けることが出てきました。そして、私を低評価し続けた親兄弟友達の誰のパートナーよりも外見的にも社会的にも優れているとされている男性と結ばれました。
それでも、「釣り合わないと思われているに違いない」と感じ、実際そういうメッセージを送ってくる女性もいましたし、自己評価の低さゆえそういう人を周りに置き続けてしまいました。特に家族はずっとその影響を私に与え続けました。
結婚しても、女性としての評価は低く見積もられてると分かる言動が周りの女性から続きました。
あまりに苦しいので、彼女たちに私の価値を決めさせるのはやめました。美醜はどうあれ、自分だけは自分なりの人間としての美しさや良さを認めてあげようと。
結婚した後も、男性、外見が優れていて自信がある男性が寄ってきました。でも自己評価が底辺のうちは、その事実にも気づくことさえできませんでした。
でも自分を認めてあげる練習をするようになってやっと、周りの女性がどう言おうと、彼らは私に惹き寄せられてくるということは、何か自分に魅力があるだろうとやっと気づきました。
早く気づいていれば、思春期も青年期も、あんなに苦しくなかっただろうに。でも、そうしたら私が築いてきたものはなかったかもしれない。恋愛にのめり込んでいたかもしれない、と。
年齢を重ねて、さすがに自分に惹かれている人が分かるようになってきました。今までは、少しでも自惚れると叩きのめされるという考えが根付いていて、少しも自分に惹かれているなど考えるべきではない、とそういうふうに生きてきました。日本の文化的にもそう思い込む方が適応できたのでしょう。
でも、もうやめます。今だに親兄弟でさえ、私の外見を貶める発言や言動ばかりだけれど、彼らの言葉よりも自分の実際の経験を信じて、素直に喜び生きていきます。
社会?マスメディア?が押し付ける一方的な美的基準に踊らされることがどれだけ愚かなことか、私は身を持って知っています。でもだからと言って、人それぞれが持つ魅力や美しさを、マスメディアが提示する基準や周りの評価によって否定してしまうのも不幸なことです。
日本や他のアジアの国で主流となっている、不健康な体型や白人のような特徴ばかりを賛美する美的基準や、侮蔑や嫉妬の心で批判をする人たちにあなたの美しさを評価させることをやめてください。
自他ともに内外の美しさを認めていける人が本当に美しい人だと思います。そういう人が増えていけば、もう少し美しい世界になると思います。