あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいいたします。
新年早々悲しいニュースがたくさん……。。
能登半島地震。こちらも揺れました。
長い揺れが続いて怖くて全く動けなかったです。
石川県または被災地の方々。
本当に辛いですよね。怖かったですよね。
どうかこれ以上の被害が出ませんように。
少しでも早く復興できますように。
X(旧Twitter)で、優しい言葉や為になる情報のツイートや、『助けて』という被災者のSOSを受けて少しでも力になろうと拡散したり救命に連絡したりという行動がたくさん見られました。
SNSはこうやって正しい使い方をすれば誰かの命を救ったり、困っている誰かを支えたりすることが出来るんだなと改めて考えさせられました。
東日本大震災の時、学校の支援活動として同級生の子2人(生徒1人につき2人ずつ決められた人に渡す形でした)に物資を提供したことがあります。
服、下着、靴、学校で使う鞄,筆記用具・ノートなどをはじめ、少しでも気が紛れるようにと可愛いアクセサリーや当時流行っていたシールなど沢山渡しました。お手紙も書きました。
母と共に、渡す子に合うものを考えながら新品を買い揃えて渡したので結構な金額とはなったのですが、後から2人(その子の母親)から『本当に助かりました。ありがとうございます。』『どれも新品で、可愛いもので驚きました。全部大切にします。』といった感謝の手紙が来て、すごく温かい気持ちになったのを覚えています。
誰かのために行動する。
それはどんなに小さなことでもいい。
例えば、優しい言葉をおくる。
辛い思いをしている人がいれば、力に少しでもなろうと考えられる、それだけで立派だと思います。
考えるだけ、祈るだけなんて誰にでも出来る。
それはそうです。
そんなの助けにならないだろと、本当に助けに来ない癖にと言われるかもしれない。
でもね。
それで心が救われる人はいるんです。
確かに言葉だけで、被災した方々の生活が楽になったりなんかしない。でも、心配する、その人の気持ちを考える、心に寄り添おうとするその気持ちが誰かを救う。
SNSは誹謗中傷や酷い書き込みをする人が数多います。心ない言葉を書き込む人が沢山います。
能登半島地震についてもそうでした。
ネタとして使ったり、助けてほしい人の妨害したりという光景も見ました。
そんな中で、『がんばって』『まけないで』という応援メッセージを送る人たち。少しでも気持ちが落ち着くようにとあげられた励ましの言葉や動画、画像の数々。知っている情報や役に立つ情報を流す人たち。
人の心を傷つけるような言葉を言うより、よっぽどいい。心配してくれる誰かがいる。応援してくれる誰かがいる。それだけでどんなに救われるか。
言葉なんてなんの役にも立たない。
行動に移さなきゃ何の意味もない。
そういって本当に何もしない位なら、震災についてもっと知識を得たり、自分に今できることを考えてみてはどうだろうか。