昨今、性被害のニュース等をよく見るようになった。
私も過去に性被害を受けたことがある。
小学校低学年の頃、昼下がりに下校しようとしていたところ、学校内で声をかけられ被害に遭った。
当時は、何をされているのか、何も分かってなかった。
何をされたか理解した数年後には、とっくの昔に出来事は終わっていた。
今更、拒むことも逃げることも出来ない。
誰にも言ってはいけない、と言われた約束も長い間守ってた。
それらを何の疑いもなく受け入れてた自分のことも嫌だ。
でも、それを今更改めて認めたくもない。
普段は触れないように、考えないようにしている。
重たく、嫌で、怒り、惨めさ、理不尽さ、ぶつけられる一方的な支配や欲、尊厳の損失、
そんなごちゃごちゃした感覚を、改めて感じたいとは思わない。
どうして私がそんなことをしなくてはいけない?
しないと、この抱えたものは消えないの?
どうして、持ちたくもない秘密を抱えなくてはいけなかったの?
ずっと消えずに残ってる。
そして、セカンドハラスメント的な意見を見かけると、また辛く、不安になる。
だからニュース等で性被害のことを見て、少し救われたような気がした。
やっぱり被害の記憶はずっと消えないんだな、私だけが気にし過ぎてるわけじゃなかったんだと思えた。
勇気を出して声を上げた方々は、
とても悩んだと思うし、長い間苦しんできたと思う。
性被害をどこか軽く考える風潮を変えてくれたことには、深い感謝の気持ちを感じる。
私は、加害者の名前も知らない、顔も覚えてない。
でも例えば、もし何か償われたとしても、終わらないんだと思う。
尊厳を傷付けられ、苦しさを抱えて生きてきた事実は消えない。
理不尽に奪われた尊厳と、
本当ならもっと普通に過ごせてたはずの時間や想いを、自分の人生を少しでも取り戻したい、
本当に、そう思う。