(当初はまとめて流す予定じゃないんで、最後締めくくってて変に感じるかもしれませんがご了承ください)
①
ぼくよりよっぽど丁寧で素敵な文章を書く人が、自信なくて謝っていると「いったいなにがそんなに怖いのだろう」と思う。
いろいろあるんだろうなあ。たいへんだなあ。
ぼくも他人事ではないのだろうけどね。
『自分語り』は、けっこう謝られる対象というか……
でもこれ聞かせ方でだいぶ印象違うものだと思う。
聞き手の受け取り方もあるけど、
話し手の聞かせ方……というかまず、『聞かせる』っていう意識があるかどうか。そこたぶん重要だわ。
ぼくなんか、他人を意識しないで自分の話したいように話すからさ、人を置いてけぼりにするんだよ。
『相手に聴いてほしい(もらう)自分語り』と『自分が話して気持ち良くなりたい自分語り』は違うってね。
前者のほうでさ〜丁寧に自分語りされてて聴き入って、それで話し終わって「自分語りごめんね!」って言われると「おぉ⁉全然いいよ(なにがごめんなんだろう……?)」みたいになったりする。
あとまあ、ウチは後者の『話したがり』のほうで、なおかつ全然聞いてもらわんくてええほうやから聞き流しでかまわんで!
聞かせる気ないから真面目に聞いとったら不快になってくる感じやろうから。てきとーでええねん。ウチの話はな!
人と言葉をどう結びつけていいかわからへん。
いっつもひとりでに自分の脳内に自分が好きなように言葉紡いでるだけで、他人を意識した文章を作っとるわけちゃうからなあ……
ノリで書いてるとこあるから、不安なんですよ。
受け取り手とのズレがね。
人とのズレ……
申し訳ない部分だなあ。
仲間のフリして、敵でもあるような人間だから。
信じる心を失わせるような人間だから。
わたしのことを信用、信頼するべきじゃないから、
わたしは、誰かのことを信じるべきじゃない。
誰かと、深く関わるべきじゃないのにね。
関わって来られると、ある程度は関わっちゃって、自分の首や相手の首を絞めるんだよなあ。それが人間関係だって言われちまえば、それを覚悟して付き合わなきゃいけないのすごい億劫。憂鬱。
もちろんそれだけじゃないのもわかってるけど。
生きるため……か。
頑張ろう。
と、頑張ってるふりをして今回はおしまい。
さよなら
またね
②
自分なりに、生きていくしかないなあ……と思うのだけれど。
それがどうしようもなく苦しくて。
陰鬱な重荷が乗っかっていない、明朗快活な人が眩しくて…… 眩しくて……
ぼくと同じように、彼らも、彼らなりに生きて努力を重ねている。重ねてはいるけど、それを重荷にしない才能(努力)が存在するのだろうと考える。
得意の空想ならな〜
そんな人たちの隣に行けるのに。そしてこっちに、「イェイ♪もっと人生楽しもうぜ〜」って優しさや温もりの感じる誘いをするのに。
そしてわたしは人生が楽しくなる。
生きるのが軽くなる。
……そう。空想の中なら、自由に、大空を翔けれるんだ。
満天の星空も、曇天の雨音も、自由に描けるのに……
現実はどうしてこんなに不自由なんだろう。
わかっている。
この不自由さが、わたしに自由を与えてくれる。
この自由さが、わたしに不自由を教えてくれる。
大丈夫。
わかってないことも、わかってるよ。
理解するのをやめたい。
なんで理解してしまうのか。
理解しているようで、まるでなにも解など得られていないのに、理をしっかり辿ったことなどないのに、何故そう思ってしまうのか。
バカなのか、テンサイすぎるのか、なんですか?
このきもちわるい生き物は、いったいなんですか?
死にたかった。
だって必要ないもん。
わたしは、自分を必要としてない。
だから誰かに必要とされる必要があった。生物として、生命活動をつづけなければならないから。
求めなきゃいけない。
わたしを助けてくれる人を。それは、自分かもしれないし他人かもしれない。
とにかく探してる。生きるために。
もちろん、生きたくはない。でも、止めようと思って止まってくれる心臓は生憎持ち合わせていない。
だから、止まるまでの間をぼくはなんとかしなきゃいけないんだ。使命なんだ。
このクソったれな身体をどう生かすか殺すかを考えるのがぼくの仕事。
自分の思う通りに自分の身体を動かせない厄介な生き物め。どうしてこんなに体と脳と心と……って分離が激しいのだろう。それでも人間に生まれたからにはこれと上手く付き合わなければならない。
今日もそんな感じで1日を過ごす。以上!
③
昔に比べたら、人の命を大切にするようになったのかなあ……
戦争とか経てさ。
いつの間にか、尊いものになったんだろう。
人が持つ【心】という不可思議なもののせいで。
生贄が無くなったり、切腹が無くなったり、
自殺を止めたり…… 死刑に疑問を抱いたり……
成長してる。
進化してる。
動物なんて、死を理解して悲しまないほうが楽だろうに。
でもそうすると、人はたくさん死んでっちゃうのかな……
だから進化しちゃったのかな……
死を、悼むように。
この手の話を何回か精神科の先生としている気がする。
先生は、歴史をよく持ち出してくるイメージがある。
仏教とか、キリスト教とかそういった宗教の歴史とか。
時代の移り変わり
人の考え方
なにか、生きるのが楽になるヒントがあるかもしれないから、人と関わるのはやっぱりいいなと思う。それは過去の偉人であったり、現代にいるみんな、はたまた未来に生きるであろう人たちに思いを馳せる……なんていうのもいいかもね。
誰かとつながっていたい。
一方的でもいいから。
そうしてぼくは、また今日もここにいる。