私は私を殺して生きています。生命活動を止めるための、ではなく。腕をカッターでわざと切ったりみたいなものです。今日も包帯やサージカルテープを買ってきました。いつかしたくなった日のために。精神科医やカウンセラーの方はリストカットを含む自傷行為は、孤独を埋めるためとか心に負った傷を表現するためになされると考えていると思います。もちろん私もその一人ですが、やっぱりその意図は人それぞれだと思います。みんなこうだという共通の答えはないでしょう。
私は、自分を殺すために自傷をしてしまいます。わがままで欲張りな自分や、失敗した過去の自分、その他の
「要らない」
と思った自分を消したくて、腕を切ったりして自分を傷つければそんな自分はいなくなると思い込んでいます。そうすると自分を少し許せたような気がします。また頑張ろうって思えたりもします。
両親はそれをわかった上で普通に私に接してくれます。それを受け入れたり寄り添うのも家族だと言ってくれます。本当に恵まれたいい場所に生まれました。だからこそ苦しくなる。なんであのとき失敗したんだろうとか、私じゃなくてもっと愛想が良くて愛される子が生まれたら良かったのにとか考えてしまいます。死にたいなとか考えるたびに両親に申し訳なくなります。
両親には感謝していますが、両親のように受け入れてくれる人は少ないのでしょう。今いる友人や同級生に話せばきっと精神科の受診を勧められたり、生きてればいいことあるよとか言われてしまう。そのいいことってどんなものなんだろう。絶え間なく押し寄せる嫌な感情で上書きされない程のいいことってそう簡単に起こってくれない。やっぱりそんなことを聞くと見ていたり感じる世界が違うんだろうなと思います。本当に余裕がないときそんなこと言われたら、今までないくらい汚い言葉を言ってしまいそうで怖い。
「死んでない」じゃなくて「生きている」って思えるような日が来てほしい。死んでしまったら誰かが悲しんでくれるような人になりたいな。