幼稚園のころ、妊婦の先生のお腹を叩いたり、嫌がらせをしていました。
理由は、友達のためでした。
私は当時人見知りで友達はいなかったし、とある女の子(Aちゃんとします)にトイレの中で蹴られたり叩かれたりしていました。
そんなある日、Aちゃんから
「先生にいたずらしよう」
と突然誘われ、断れなかった私は承諾して先生の靴の中におもちゃのブロックを入れたり、先生を転ばせたりしました。
すると、Aちゃんはすごく喜んでくれて友達になろうと言ってくれました。Aちゃんと友達になった後、Aちゃん繋がりの友達も増えて嬉しかったのを覚えています。
先生に嫌がらせをすれば、友達が増えてみんなの気を引けるんだと思った私は、妊婦の先生のお腹を叩いたりしました。
しかし、その悪事の数々はすぐに問題になって私は幼稚園に通うことができなくなりました。
私は、その時以来友達がいません。
悪事なしで友達を作る方法がわからない、けどいじめなんて小学校&中学校でやったら人生は終わる、その結果ぼっちになりました。
そして、ぼっちになった私は小中でいじめられてしまいました。自業自得です。
親にも、幼稚園のことで愛想は尽かされています。
普通の友達を作る方法も、普通に生きる方法もわかりません。死んだほうがいいかもしれないとも思います。
私は普通になって普通の友達を作れるようになりますか?どうしたらいいですか?
そして、私には悩みがあります。
罪悪感という感情がどういうものなのかわかりません。
罪を犯したことによるペナルティや弊害を恐れているだけで、罪そのものに対してのいわゆる罪悪感というものは感じないのです。
もし、「今目の前にいる人間を殺せ。お前が罪を被ることはない。」と言われたら平気で殺すと思います。
これは厨二病的なものではありません。
真剣な悩みです。
「罪悪感を感じない」などと検索をかけると、「反社会性パーソナリティ障害」という病気が出て来ました。
私はこの病気なのでしょうか?
母親から普通ではないと言われ続けて、自覚もしています。
このままだと自分が破滅してしまいます
精神の病気なら治療をしたいです
それとも死んだ方がいいですか?
199835通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
悪いのはそそのかした方ですし、次からやらなければいいだけです。
罪悪感などは、分からないなら仕方ないです。そういう人もいます。
ただ、どういったことが嫌がられたり、犯罪になったりするのかを知っておくことは大切だと思います
自分がどう、社会の役に立つのか、どういった仕事をすべきなのか、考えて実行していく中で、求められるようになると思います
お母様といっても別々の人間なので、分かり合えなくても仕方ないです。
得意なこと、何かあるはずです。
それを、自分ではない誰かの役にたたせることで、うしろめたさのない友人ができていくはずです。最悪友人ができなくても、学校や職場のチームメイトに恵まれるかもしれません。
善悪の判断さえできるようになれば、意地悪は交渉で能力を発揮できますし、空気を読まないことは時に仕事で大きな成功をおさめることもあります。
と言われても、善悪とは?となると思いますので、参考に論語(簡単に日現代語訳されたもの)などを、読んでみたらどうでしょうか。
ただ、もしかしたら、自分だけの喜びより、他人の喜びも理解できた方が、楽しいと感じる瞬間は人生で増えるかもしれませんね。他人はいっぱいいるので。
みな、最後はしぬのですから、どういう人であれ、はやめることはないと思います。
生きていてください。
ななしさん
今の辛い状況を「自業自得」と捉えているのは、罪悪感とは違いますか?
許されないことをしたと悔い続けることは必要です。
「悪いことをした」と悔いても泣いてもすぐ忘れるような人間よりあなたはずっと"まし"だと思います。
何故そんなことをしてしまったのか、当時の先生や親御様に理由をしっかり聞いてもらえなかったことが今のあなたを苦しめているのではと思いました。
もし反社会性パーソナリティ障害だったとしても、あなたが死ぬべき理由にはなりません。
自分が何者か知るために、どんな自分だとしても愛せるように、病院へ行って、カウンセリングを受けることをおすすめします。
ひとに話していると、何が辛いのか、本当の自分は何なのか、少しずつ見えてくると思います。自分で答えが見つかることもあります。
相性の良いカウンセラーさんに出会えますように。
ななしさん
実際に精神疾患かどうかは医師でないと分かりませんが、自分自身に対する不安や疑念を抱えて生きていくのは、とても辛いことですので、治療したいという意思があるのでしたら、一度精神科に相談に行かれるとよいと思います。
高校生以上であれば、保護者の付添いはいりませんので、自分の症状を診てくれそうな医療機関を探して、予約をとってください。
ななしさん
己の欲せざる所、人に施すなかれ。
私は、怪我の痛みは嫌です。
「もしも自分がされたら嫌だ」この感情があるから、私が他人に暴力などをやった時は罪悪感を感じます。
私はどちらかと言うと自分に置き換えて考えられるタイプだと思います。
「自分は嫌だけど、他人ならいい」と思うような、自分に置き換えて考えられないタイプの人であっても、罪を犯したことによるペナルティや弊害を恐れている状態で、利己的な理由で加害者にならないなら、それでいいと私は思います。
罪に問われないとしても、必然化のように孤独になるのなら、刑を受けているようなものだと思います。
私が思うに、精神の病気なら治るのではなくて、その対処法を教えてもらえる感じなんだと思います。
対処法を学ぶつもりで病院に行こうとするのはいいことだと思います。
もしも病院に行かなくても、ストレスにならない程度に、優しそうな人の真似をすれば、集団に紛れ込めます。いい意味での嘘は大歓迎です。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。