昔から親は子供よりも互いを1番に愛しているんだろうな、と痛感しながら育ってきました。
2人が愛し合った末に私が生まれたのだから、私が親の1番になれないのは当たり前なのかもしれないけれど、それでも寂しい。辛い。
母は、私が40度近くの熱を出した時はひとりで病院に行かせたくせに、父が37度後半の熱を出しただけで病院まで付き添いました。(父に持病はありません。まったくの健康です。)
日常生活では、常に父の身体に触れています。
食事だって、いつも父の好きな物ばかりです。
父も同じです。
母には大量のお金を注ぎ込むのに、私に対してはまったくの無関心。私が少し触れただけで「触らないで」と言われました。私の話をしたかと思えば、容姿をバカにしてゲラゲラ笑ってます。
でも、家から出てけと言われたことも、食事を抜かれたこともありません。
お金も頑張って頼めば出してくれました。虐待は無く、ちゃんと愛してくれました。
こんな親だけれど、私は大好きですし、感謝しているし、本当に幸せになってほしいです。
でも、1番に大切にされたかった、愛されたかったと親を強く恨む自分も同時にいます。
もう親元から離れる時期なのに、子供のように母親に甘えてしまいます。もっと愛してくれるかもという期待が捨てられません。
何をしてても、ずっと「私は愛されない」という前提があって泣きそうになります。頭の中で小さい頃の自分が泣き喚いている気がします。
このまま死ぬまで期待しっぱなしのまま、かまってちゃんのままなんだと、私の人生何だったんだろうと思ってしまいます。もう疲れました。
ななしさん
子育て中の親です。
子どもに自立を促す作戦かも⁉︎と思いました。
私としては、家の居心地が良すぎるといつまでも、子どもが自立しないので、時々、強制的にまるで嫌がらせかのように家事を手伝わせています。
でも理想は、愛情を注いて、子どもが不快感や寂しさを感じずに、自然と自立してもらえるといいのだけど、理想どおりにはいきませんね。
なので、こんなふうに小瓶を流してくれてありがとうございます。
家庭内でうまく行っていないことを流してもらえたら拾います。
私、子ども好きで。
生まれたからには幸せになって欲しいし、何かあれば、これも理想なのですが、みんなを支えたい。
親に愛されていない感覚があると、しんどいですね。期待や希望と現実との差分が悲しい感情になってしまう。私もそうでした。
小瓶を拾いますから、また吐き出しに来てください。時薬でもなんでもいいから、今よりも気持ちが楽になりますように。