大切で、大事にしたい相手と
殺したいほど憎い相手……
特にどうでもいい人。
それらに抱く感情が全部同じなわけないだろう?
だから、自分がされたらどう思う?とか
自分の大切な人、物にそれをされたらどう思う? ってそんなのは「でもだって」って……
君は僕じゃないし、僕は別に自分が大切な存在じゃないし、この人にはこう思っててあの人にはこう思ってるという、それぞれに対する私の感情が思考が存在してるのです。
だからわたしは変わらず自分に「死ね!」と言うし、他人に「生きろ!」と言うのです。極端な話。
罪を犯せば罰になります。
己の愛する者を殺されたらどう思う?
だから君も殺しちゃいけないよ。よりも
人を殺したら捕まって罰を受け苦しむことになるよ。のほうが説得力?効力?があるかもしれない。
「それは罪だ」「罰だ」「断罪だ」
そうやって周りから指をさされ責められて、これはしちゃいけないという知識になることがあるとする。
そこに感情はあるのか。心は意識されているのか。
そんなにも、他者や自己を慮る必要はあるのか。
心なんかなくても、プログラムされた知識でロボットは罪を犯さない。のであればぼくら人は?
考えることを要求される。
要求されなくても考えてしまうか……
あーだめだ。本日もやっぱりめんどくさい。
ここで未完結の放置してる文を消化!
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矛と盾が別々だから矛盾が生じるんだ。と思って……
だったら矛と盾が合体してひとつの武器になってたらいいんじゃね?と思って……
そんなこんなでぼくはよく「矛盾してる」と捉えられてしまう言動をしているかもしれませんが、ぼくの中で矛盾はありません!嘘も、ほとんどついてません!
ほとんどついてません。ということはつくことはあるということで、これが嘘だったら?
どうでもいい。
人は、信じたいものを信じるんだ。
何を信じたらいいかわからないという、己の内に巣食う疑心暗鬼とかをね。
何も信じられない教、信者。
そういうこともあるかもしれない。
いつも
たまに?
てきとーにおしゃべりしてる。
みんなこれ真剣に読んでるの?
だとしたらワタシとの温度差ひどいだろうなあ。
でもそこが面白くて好き。
解釈なんかが違くてさ。
「わたしが書いた文章だけど、わたしはこう解釈する。けど貴方はそう解釈するのね、面白い」
そういうことがあるから好き。
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ありがとう。聴いてくれて。
貴方の今が、過去が、未来が、素敵なものとなりますように