怠惰。サボり…… 甘え。
そうすることに後ろめたさ、謝罪、罪の意識が存在するのは何故だろうか。
それらは適度に必要なものであり、上手く活用して生きることに役立てられる便利なスキル……
上手く扱えていないことへの申し訳なさか。
いや、怠惰は7つの大罪だったか。だがしかし、罪も利用する強かな者。愚かで浅ましい存在……それが人間。という考え方はどうだろう?
まあこれらは全部、自分を何とか肯定しようと必死に言い訳考えてるようなものであり、わたし自身が愚かで浅ましい存在なのだろうな。
「甘えててごめんなさい」なんてピュアな心はいったいどこにいったのやら。
今まで甘えたこともサボったこともない頑張り過ぎやさんは、もう少し甘えることやサボることを覚えてもよいのではないかと、ワタシは悪魔の囁きをしてみる。
怠惰仲間を増やしたいだけさ。
そうしてこの世界は滅んだ――――なんちゃって。
ぼくが頑張らなくたって、みんなが頑張ってそれで何とかなってるじゃん。必要以上に頑張る必要がどこにあるの?
ただ、憧れてるだけだ。
「できたらいいな」って。理想があって、「そんなふうになれたらいいな」「あんなふうに動けたらいいな」って。
無理なものは無理って諦めも、どこかでそんなの嘘だって否定して、できるのにやらない最低な自分を作っちゃう。
結果謝って謝って謝って……謝ってる時間で手を動かせない自分に嫌悪して。
いつしか、「“できない”だったらいいな」って。そっちを求め始めたクソ野郎なのですよ、わたしは。
精神科の先生にも、頑張らないことを頑張ってる。と言われたことがあるけれどそれはやめたほうがいいのかどうかもわからない。やめてどうするの?とも思う。やめることで、動かないといけなくなるならやめたくないと思ってしまう。こうして怠けることに全力を注いでいれば、そのうち死ねるのを「良し!」なんて考えてる。
我慢の時間。待ちの時間。ぼくにとっても、みんなにとっても。
死ぬまでの辛抱。耐え抜いてみせるよ。わたしなりの生き方を貫いて。胸張れない人生をとことん送ってみせるよ。
以上、今回の思考でした。
おしまい。
ななしさん
読んでいて思った感想です。
頑張らなくてはいけないとか、動かなくてはいけないとかは、小瓶主さんの自由ですが、
たぶ?お医者様は、とりあえず、がんばってはいけないとは思わなくてもいいですよ。ということをおっしゃっているのではないでしょうか。
頑張るならがんばったらいいし、動くなら動いていってもいいですよ。
という状態になってますよ。ということなのかなと思います。
たぶん、医師から強制的に動きなさいとか、頑張りなさいとは仰らないとおもいますので、気が進まないようなら、頑張らないを続けても良いと思います。
ただ、現状頑張れる状態なのにそれをしないという罪悪感や、ドクターストップなどの、頑張らない免罪符のようなものを求める気持ちがあるなら、どうしても他者の同意や容認を得るために、あくせくひやひやしないといけないし、嘘?(←ちょっと言葉が的確ではないですけど)もつかなくてはいけないとおもうのでしんどいと思います。
元気になっても、私はがんばりたくありませーん。
私の代わりに誰か頑張ってくださーい。
ぐらいぶっちゃけて、私はこうおもっているアピールしたほうが、らくなんじゃないかなとおもいます。
他者からどうおもわれるかは、この際諦めておくといいかもしれませんね。
長文しつれいしました。