自閉症、PTSD、双極性障害
診断が下りたわけではありません。
抑うつ状態が十年以上続いています。
最初は、軽いうつという医師の見立てでしたが、改善しませんでした。
その後も、抗うつ薬や精神安定剤を服用し続けています。
転居で医師は変わりましたが、今は同じ医師に長く診ていただいて、ようやくそんな診断らしきことを教えていただきました。
日常生活は、衣食住は足りていますし、就業もしています。
人との係わり以外は、独りで暮らすのには、今は十分な環境にあると思っています。
こんな風に、恵まれていることがあって、そのことに感謝できるのも、医師のおかげです。
自閉症というのは、とてもショックでした。
自閉症について正しくて深い知識はありません。
これまでも、今も、これからも、ずっと独りなのかと、
自分が独りでは済まなくて、周りにも相手にも独りを感じさせてしまうのかと。
そんなことを考えたら、誰のせいでもなく、ただ悲しくなりました。
診断らしきものをいただいて、これから諦めなければならないこととやれることが少しはっきりとしました。
独りで何とか生活できても、仕事し、また人と会い過ごすことがあっても、ずっとずっと独りなのかと。
この悲しみを知ってか知らずか、この悲しみを湧き出させる人々がいます。
これからずっと独りでも、この悲しみを湧かせ、あたかもそれを楽しむかのような人は、もう要らない。
その人は人であっても、これからの自分には不要だと思っていこう。
きっといつかどこかで、大切な人に大切にできる人に会えると思っていこう。
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ななしさん
ななし様
お返事ありがとうございました。
自閉症スペクトラムも、PTSDも、いずれの診断もなく疑いでの治療中で、最期の時まで治療中になると思っています。
私も、孤独を嫌と言うほど味わったというよりもです。私の場合は、診断や疑いの前に、孤独を無理やり食べることを選びました。この選択に後悔はありません。だからこそ自閉症スペクトラムなんだろうと思います。
諦めとも違いますし、これまでのことを無駄だったとも思いません。「孤独の荒野」はとても良い言葉です。本当にそのとおりに生き、生き続けなければならないと思うほかないと思います。
当人にとって、突きつけられた診断と受入れようとした自分は、乖離が大きかったです。解放された分以上に悲しみが強かったです。人を、相手を分かれないという悲しみが強いです。
ずっとずっと独りというのを誰かに味あわせたくない、辛さや悲しみを誰かに回したくないとでもいうのでしょうか。
ななし様のように言葉にまでしてくれる方がいらっしゃると思うと、ありのままを大事にしても良いと思いました。
ありがとうございました。
ななしさん
こんばんは。
自閉症スペクトラム(ASD)の診断を受けた者です。
PTSDについては、断定はされていませんがその疑いがあると言われています。
もともと、10代で適応障害になり、以降抗不安薬の服用を続けています。
現在30代。
いやー、もう孤独(感)は嫌というほど味わいました。
味わう、というより無理やり食べさせられた!(笑)
学生時代のいじめを始め、人間関係でボロボロにやられ続けて、「人に対する希望」を完全に失いました。
その時に私の目の前に広がったのは、希望の対義語の絶望、ではなく「孤独の荒野」でした。
(幻覚ではなく心象風景です)
「孤独の荒野」、私にとっては寂しさなどではなく、むしろ何か清々しいものを感じました。
言うなれば、普通・世間・社会からの解放。
小瓶を流したあなたに言えることは、孤独=自由!
まあ、こんな人間もここにいるよーってことを知ってもらえたら、嬉しいです。
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