最近、私が何なのか分からないです。
何で生きてるのかとか、何で死にたいのかとか、そういう具体的なことじゃなくて、私自身が何なのか、誰なのか分からないんです。
私って、何なんだろう。
朝起きて、しんどいなか無理やり学校に行って、授業を受けて、家に帰って、ご飯を食べて、寝て。ひたすらその繰り返し。
まるで工場のベルトコンベアに乗って流れ作業をされるみたいに、ただひたすら同じ毎日。
昨日と今日、何が違うのかと聞かれたら、授業の時間割りくらいしか違わない毎日。
ほとんどの人が違和感を抱くこともなく、それぞれの時間を過ごしている毎日。
それが何て言うか、すごくもやもやして、言い方は悪いですが気持ち悪いです。
もしここに居るのが「碧月」という人間じゃなくても、問題なく成り立つような毎日。
それに、ひたすら違和感を覚えてしまうんです。
この毎日を過ごすのは、「私」じゃなくても良いんじゃないか。
じゃあ、「私」が「私」である意味は、何?
自分という存在を客観視すればするほど、気持ち悪さが拭えなくなる。
でも、一度抱いてしまった疑問は消えることもなくて、ずっとぐるぐると渦巻いてしまう。
自分を客観視する、ということで共通点があるので書こうと思いますが、一つ前に流した、私がだいぶ荒れていた小瓶のお返事に「碧月さんは一体誰の価値観に支配されてしまっているの?」という言葉がありました。
それを読んだとき、私はものすごく府に落ちた感じがしました。
何というか、周りから「私」という人間がどう評価されているかばかり考えていたというか、その評価が私の全てだときつく思い込んでしまっていて、だから誰かの価値観に囚われてしまっていたんだと思うんです。
それに気付けた今、まだ周りの評価を必要以上に気にして自分をきつく卑下してしまう癖は抜けないものの、良い意味でも悪い意味でも、この地球で私を見て評価を下すような人は本当に少ないんだ、と半ば開きなおって生きるということが楽だと分かりました。
でも、そうやって他者の価値観から脱却して自分の思う価値観というものを考えたとき、自分自身に価値を感じることがまず無い故にこうやってよく分からないループに陥ってしまうのでしょうか。
それさえも、もうよく分かりません。
「私」って、何なんだろう。
私は今、「私」という脱け殻を被って、毎日を義務のように生きているような感覚がしてならないのです。