「郷に入っては郷に従え」
文化と言えば文化なのだが、礼儀や行儀といった他人を尊重する心は、謂わばドレスコードの様なものだと思っている。
「世界はひとつ」なんて綺麗事も良い所。
己が怠慢の為に世界を変えようとする風潮が腹立たしい。
私は歪んだネガティブ主義者ではあるが、社会の在り方については割と寛容である事を最近になって自覚した。
と言うのも、他人を変えようだとかルールを変えよう等と企てるより、この場から去りたいという感情が先行するからだ。
これは過剰な干渉の下で育った環境による思考経路なのかもしれないが、自分に合わせて周囲を変えようなどという傲慢さを受け入れ続けた身からすると、その厚顔無恥な振る舞いは受けるにしろ与えるにしろ悪寒が走る。
ストレス社会だと偏に言ってはいるが、その根底にどう考えても真逆の性質が混在している気がしてならない。
「自分が合わせられない」
「世界が合わせてくれない」
自殺者の多い国だ。大半は上だろうと思っていた。
ただこの比率がひっくり返りつつある様な空気を感じる。
もっと残酷な言い方をすれば、比率が変わる程上がこの世から去ったと考えても差し違え無かろう。
解り易く言えば、聞き分けの良い量産型の奴が消え、面の皮が厚い我儘な奴が残った。
そして膨れ上がったエコーチェンバーは善悪の判断もままならないまま「多様性」という剣を持ち、「時代」という盾を構えて郷を壊しにかかる。
世界は1つしかないのに。
世界が1つになってしまったから。
世界を1つにしてしまったから。
悪しき習慣を楯にして歴史の教訓を捨て続けた。
踏み込めない領域を広げて怠惰の理由を拾い続けた。
誰も生きちゃいない。
死ぬ迄の延命措置。
そんな世界が続く訳が無い。
歴史は繰り返す。
謙虚ってのは卑下じゃない。
自分と向き合う人間は自ずと謙虚になる。
人に求めないからね。
区別ってのは差別じゃない。
平等な社会なんて悪だよ。
誰にも親切にする必要がないからね。
軽々しく口にするものでも人に押し付けるものでもないんだよ。
赤の他人なんだから。
何で解ってねぇ方に合わせなきゃいけないんだって思うのは当然の流れだと思うけどな。
聞こえの良い思想におんぶに抱っこも結構だけど、それにリソースを費やす程沸いて出るもんじゃねぇんだよ。
郷に入っては郷に従え。
別に出るのは自由だ。
世界は1つじゃない。
そんな話。