うつとパニック障害を本格的に発症してから、約1年。
薬も服用してやっと以前の自分が顔を出すようになってきた。
長い道のりだったけど、よく頑張ってきたなと思うしもう少し休まなくてはな、とも思う。
自分のことは限られた友人や家族にしか言わず、父親にも言っていない。
父親は幸いにもそんなにうるさい性質でないので助かっているが、ある友人からすると私が何もしていないように思えるらしい。
その子は鮪のように忙しなく動くタイプだから、家にいてマイペースに生活している私の行動が謎に思えるのだろう。
でも、私だって何もしていないことはない。
この期間ずっと一進一退を繰り返しながら自分の心、頭と闘ってきた。
本を読んだり、寝たり、テレビを観たり、勉強したり何かしらできることをしていた。
外出も恐いながらも徐々に自分の体に慣れさせた。
休むことも大事だと知ってからは、ちゃんと休んできた。
主張したいけれど、わかってもらえる気がしなくて特に反論はしなかった。
この前通っている心療内科の先生にも同じようなことを言われた。
バイトでもしてたの?なんて言われたけど働ける状況じゃなかったってわからないかな…
将来に向けてやりたいことの勉強してるって言ったつもりなんだけど、伝わらなかったのかな。
そもそも何か意味のあることをしてないといけない、ことはあるのだろうか。
外に出て活動的じゃなきゃ、意味はないのだろうか。
「静」からしか生まれないこともある。
自分に向き合うこと、様々な思いを巡らせること…これがないと自分を見失ってしまう。
時には何もしないこと、も重要だと思われる世の中になってほしいと心から思う。
ななしさん
正直慌しく動く人みると疲れますね。もちろん自分もそんな時ありますが。沢山動いたからといって生活は楽にならない。イライラする事が多いですね。正直何もしないも選択できないんですけどね。周りがうるさい場合があるからもっとうざい。
誰だって幸せと楽を求めてる。だからこそ自分は不幸や苦こそが重要だと逆張り思考するのが苦痛ですね。
自分の考えは、周りの考えだと思いますから、ダメだと思ったら逆思考です。
こうやって過ごす事が正解。不正解。そうやって考えるのがしんどいです。だから自分は生きているだけで幸せだと思ってます。
そう考えるのが、何もしないに繋がってるように思うので。なんもない今で満足だと言う事です。だけど、そう考えてもバタバタは止まらないんですけどね。そう思うと楽になる考えってありますね。