なんだか哲学的(?)な話です。 某テレビ局の番組、皆さんはご覧になりましたか。 「愛は地球を救うのか?」というのがテーマのようですね。 皆さんは実際、愛は地球を救うと思いますか? ぜひご意見をお聞かせください。 私は、愛のかたちが全員同じでない限り、地球全体を救うことなど不可能なのではないかなと思いました。 愛、と言ったら何を思い浮かべますか? 家族愛?恋愛?推しへの愛? 大切にしたいという気持ち?好きっていう気持ち?包み込んでくれるような優しさ? 愛ってそんなきれいであたたかいものばかりですか? ある人気漫画の中で、こんな台詞を見ました。 「後悔や怒り 憎しみのことを愛と呼ぶというのに 羨望 嫉妬 執着を 欲望や 失望を 絶望の事を 愛と呼ぶというのに」 そうですよね、暗くてどす黒い感情のことだって、愛って呼びますよね。 「愛ゆえに」人を恨む、人に落胆する、人を苦しめる、人を殺す。 とはいえ、どす黒い愛が人を救うことも、あたたかな愛が人を追い込むこともある。私は実際そうでした。 ある友人の愛に救われ、ある家族の愛に追い込まれました。 愛のかたちが違えば、自分の型に相手の愛がうまくはまらない、だから受け取られない、零れていく。そうしてすれ違って苦しみを生む。 その違いを理解して、受け入れることができたなら、そんなこともないんでしょうか。すべての愛のかたちを受け止めることができる柔軟な型があれば、うまくはまらないなんてこともないのかな。 わかりませんね。 あんまりまとまっていなくてごめんなさい。 あなたの考えをお返事に書いて貰えるととっても嬉しいです。一言、二言でも良いので、ぜひお願いします。
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ななしさん
愛って何なんだろね 私は正しくエゴ、自己愛で大切な人を傷つけたとこ で、相手からの言動に傷ついた 全部エゴで愛でクソ喰らえだなって
ななしさん
某テレビ局の番組、笑点は見ました。 あの番組のテーマの“愛”は暗くてどす黒い感情を含めていない“愛”だと私は受け止めています。 海の向こうの顔も名前も知らないあの人も、私が大好きなあの人となんら変わらない命であることには間違いない。 好きな人が幸せであって欲しいし、同じく命は幸せであって欲しい。せめて戦火に怯えず、飢えに怯えず、退屈であって欲しい。 愛を知って、他者に愛を置き換えて考えられるようになったら、地球は救われるかもしれません。 人だけでなく動物に対する愛があるから、動物が暮らす自然を守ろうとしたり。 地球上の名前も顔も知らない人が20万人死んだって、心が傷まないメンタルの人たちだけが生きている社会。 “そんな人間でいる自分が気持ち悪いので人間辞めます”そんな死の方が美しい。けれど動物なので、自殺を選択せずに生きてます。 動物なので、人を殺してしまう愛を抱いたら、人から離れ動物になります。
ななしさん
不思議ですよね。一口に「愛」と言っても様々なものがあると思います。
ななしさん
地球に聞いてみなければわかりません でも地球は話すことができない為 人間が好き勝手言っているだけ よって何の意味もないコンセプトだと思います
これまた面白そうな小瓶を拾ってしまいましたね。真面目にお返事を書きたいので、丁寧な口調にしようと思います。 これから書いていく考えは、あくまで僕個人の意見であることを留意してほしいです。 愛は地球を救うのか? 直球に申すと、僕は無理だと思います。これは伝え方の問題なのかもしれませんね。 まず、地球は救えないと思いました。そして、たとえこれが日本だとしても救えないと思いました。 愛というのは感情です。感情一つで救われるほど、地球というのは軽くない。 愛ただ一つで80億人もの生き物が、生物らが救われるなんて、お気楽能天気にも程がある。 まぁ、あくまで誇張表現であるとわかっていますが、僕はそこに違和感を覚えましたね。 もしかしたら地球というものをもっと小さく捉えているのかもしれませんが。 人間というのは弱い生き物です。向けられる感情はおろか、感情すらも読み取れない言葉一つで傷つきます。 もっと言えば、人間というのは溶け込みやすい生き物です。個人差はあるでしょうが、その感情一つで影響され、揺さぶられ。 人間は弱くて溶け込みやすい。だから、愛と感情で救われる人がいるのだと思います。 なので、僕は愛で地球は救えないが、人1人ぐらいであれば救える。と思います。そこから広がれば、1人で10人救えるかもしれません。もっと広がれば何万人。 ここで少し引っかかるかもしれません。 「おいおい、じゃあいつしか愛で世界が救えるじゃねぇか。勘弁してくれよmzk」 そう思う人もいると思います。 救うというものも非常にあやふやな表現です。何を持って救うというのか。「おれすくわれた!!!」とでも言えば救われるのか。 僕は、救われるというのを心が軽くなると捉えています。 今まで重い水を手でかいてきた僕ら。誰かのポイで水から引き上げてくれ、泳ぐ必要がなくなった。そんな状態を“救われる”と思っています。 ポイは喜び、称賛など、比較的に明るい気持ちや、同感、代弁などの暗い気持ちでも生成されると想像しています。それを一つにまとめて、愛と呼ぶのではないでしょうか。 ただ、ポイが破けては救うことができません。そんなポイを破く存在。それは、救われる側の感情であると思います。 金魚すくいでもそうでしょう?金魚が暴れれば、ポイは破ける。たった少しの衝撃でも。 ポイを破いているのは僕ら自身です。心の底から納得できていないのか。相性が合わないのか。 人間は、ひとりひとり違います。同じ人なんていません。だから、ポイが破けてしまうことがある。 全員同じ感情を持ち、同じ同情を向ければ、それはそれは強いポイの出来上がり。悲しむ人はいなくなり、いつしか世界も救えるでしょう。 ですが、そんなことできるはずがありません。だから多様性という言葉があるのですから。 だから、たとえ相手が差し出したポイが愛で出来ていたとしても、僕らが破けば救われない。その愛を受け取らなければいけない義理もない。 受け取りたい愛が、たとえどんなものでも、自分が身を預けたいと思ったその気持ち。それは、きっと自分を救う。 めっちゃくちゃ話がズレまくっていますね。ごめんなさい。 でも、これが僕の考えです。 僕もとある友人の愛に救われました。「あなたとなら死んでもいい」って。それは側から見たら、黒い愛でしょうね。だけど、僕はその言葉で救われた。 それと同時に、家族の愛がわからなくなった。僕の家庭は少々めんどくさくてですね(笑) ですが、その友人が、親友が、そう言ってくれたから、僕はその愛で十分だと思えました。 他にも、僕が慕い愛している方はいます。そうやって自分の信じれる愛を見つけていくのが、賢い生き方とやらかもしれませんね。 長くなってしまい申し訳ありません。勢いで書いているものですから、誤字脱字等あるでしょうが、多めに見てくれると嬉しいです。 ツキカ、大好きです。 心の底から愛しています。 この愛は、どんな愛なんでしょうね。 あなたは、どう受け取っていますか? いつかあなたに会える日を夢見て。 またこの海でお会いしましょう。
ななしさん
愛は地球を救うのか?…というか、何をもって救いとするのか。人間の愛は地球の何を救うのか?うーん…ちょっとよくわからないです。知識不足ですみません。 人間の愛は人間を救うのか?…でしたら、時と場合によるですね。救われた人もいれば、命を奪われた人もいるわけですし…。
ななしさん
お返事失礼します。 僕も、"愛は地球を救う"というのは、少し違う気がします。 愛があれば、本当に地球は救われるのでしょうか?愛がなければ、地球は救われないのでしょうか? 正直、僕には綺麗事にしか聞こえません。
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