また、今日を生きなきゃならないのか……
って朝起きて思う。
「自分は生きてない」ってよく考えるけど、生きていて。だから「本当に生きてなきゃよかったのに」なんて考えたりもする。
死んでいてほしい。
苦しみも楽しみも、なにかもこの身に感じないように。考えないように。思わないように。
死んでいてほしい。
でも生きてる。
それはもうしょうがない。
だってわたしは死んでない。
病気で死んだわけでも、事故で死んだわけでも、自殺で死んだわけでもない。
だから生きてる。生きちゃってる。生きてしまってる。
しょーもなくはある。
命だけここにあるような状態だから。
人間的活動をしているかと言われれば(人間的活動とはなにかわからないが)、していないと思う。
ニートはなぜ生まれるのか?みたいな話なんだろうか。
働かない人間の役割ってなんだ?
蟻の世界だと、いざというときには働くらしい。いざという時に働ける能力があるらしい。知らんけど。
でも人間はべつに……
わたしはとくにそういうのはございません。緊急時に発揮されるような、今までやってなかったことができるような、そんなことはございません。
経験値なしに飛び込んで、見事活躍できるような能力はないのです。ですから経験値は稼いでおくべきでしょう。必要なときに動けるように。それもせずにのんべんだらりが、わたしの日常。
死ぬまでまだ時間あるか……
何ができるのかなあ。
何にもできないのかなあ。
わたしというダメ人間がいるせいで苦労がかかる皆様に「ごめんなさい」
可哀想だよね。わたしという存在を産んでしまった人、子供時代のわたしを育てられなかった人、自分自身を助けてあげられなかった、助けてあげないわたし……
今のわたしを養わなきゃいけない家族とか、
わたしを住まわせてる家とか……
なんかいろいろ可哀想。
わたしがいなければ幸せなこともいっぱいあったかも。
わたしがいて幸せなこともいっぱいあるかもしれないけど。
どこかで、「自分は悪くない」って思ってるよ。
そもそも、過去を見て言う良いとか悪いとかどうでもいい。問題は現在と未来を良いものに。悪くないものにしようという、今後訪れる、迎え入れるものを「良」にしようか「悪」にしようかという話。
福を内に入れるか、鬼を外にするか。
福も鬼も内にするか。
福も鬼も外にするか。
福を外にして、鬼を内にするか。
選択して動いていかなきゃなんないけど、それが面倒なんだなあ〜
いいんじゃないですか。
こんな人生でも、最期に「生まれてよかったな」「途中で自殺しなくてよかったな」って思えたら、周りがどうあろうと、周りから「良くないわボケーー!!お前は生まれてこなかったほうがよかった疫病神じゃーー!!」と言われようとまあ、いいんじゃないんですか。
良かった。
ありがとう。
まだ死なないんで、この先もよろしく。
苦労をかける皆様へ
世界のどこかで鼓動する者より