自分の精神年齢をグラフにしたら
おそらく平均より切片の値が大きくて、傾きが小さいのだと思う
つまり幼少期は大人びているように見えたけれども成長速度が遅かった
いつしか交わって年齢に比して幼くなっていく
何なら途中から傾きが負になっているかもしれない
幼児退行も甚だしい
今は実年齢の3割に満たないくらいの精神年齢な体感
遊びたくてたまらない
それも子供っぽい遊びが適してきている気がする
昔は逆に子供っぽいという理由だけで遠ざけてきたようなことをやりたくなっている
変なプライド振りかざして大人びる必要はなかったな
名前のない小瓶
212911通目の宛名のないメール
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ななしさん
(小瓶主)
一通目のななしさんへ
お返事ありがとうございます。
今からでも子供っぽい遊びをしてみる、ですか。暇ができたらやってみようと思います。平均的な精神年齢になれると良いな。
二通目のななしさんへ
言語力に差があると大変ですよね…。ななしさんほどではないかもですが、自分も小学生くらいまでは対象年齢が多少高めの本を好んでいて、未習の漢字を書いて先生に咎められたりしていたので少し共感します。
私は無口だったので周りと会話する機会そのものが少なくその辺りの苦痛は然程感じませんでしたが、本の対象年齢と同じように、周囲のする遊びも対象年齢が低いように感じて敬遠していたのかもしれないなとお返事を読んで思いました。一度年齢関係なく遊びたいように遊んでみることにします。お返事ありがとうございました。
ななしさん
幼少期のコンプレックスとか未練というか、やり残しのようなものが心にあるのでしょうかね。
童心に帰ってみて遊んでみたらどうですか?
私は精神年齢は年相応かもしれませんが、成長というか発達が早くて、二才には大人の会話を理解して楽しんでいたので幼稚園児くらいの時には周りの言語力が低すぎてつらかったです。二才の頃くらいからは祖母の書いてる文章を鏡文字で真似て一緒に書いたりしていました。大人同士の会話は聞いていて楽しい、でも同い年の子達は何が言いたいんだか言っているのかよく分からなくて、先生と話す方が楽しかったです。祖父母と一緒にいる時などは文字や文章を書いていましたが、文字の読み書きが出来る子達も周りにいなかったので、いけない事みたいに感じて隠していました。遊びも同年代の子達がするものは好きじゃなくて誘われて一緒にしても、自分も小さいのに周りが赤ちゃんみたいに思えて楽しくありませんでした。年齢が上がり段々と楽に会話になるようになり楽しくなりましたが、遊びは小さな頃からずっと同年代のする事は苦手でした。大きくなり大人になっても子供時代の遊びには同じ気持ちです。
色々な人がいますね。
大人になって子供時代の遊びをまた楽しむ人達だっていますよ。プラモデルや何かのコレクションなど、大人になっても楽しめる事や趣味は沢山あります。子供の頃に欲しかったお菓子を大人買いしてみたり、欲しかったおもちゃを買ってみたり、大人になり子供の頃の夢を叶えてみて楽しむのだって、逆に大人になっだからこそ出来る楽しみだと思います。遊びだってそうですよ。側からしたら、子供じゃないんだから、とか、良い歳した大人が、と思われる事だって、誰にも迷惑をかけている訳じゃなく本人が楽しめれば、馬鹿げていてもある意味大人の楽しみと言えるのではないでしょうか。
小瓶さんはお幾つか知りませんが、子供っぽいというのは良くない事に感じるかも知れませんが、誰でも幾つになっても子供みたいな所は何処かしら残っています。大人子供関係無く一度したい好きな遊びを思いっきり楽しんでしてみてください。
ななしさん
今からでも子どもっぽい遊びをしてみたらいいんじゃない?
そうしたら、傾きが急になると思うよ。
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