昔、っていうか、まあ1〜2年程前だけど。
今とは全然違うアカウントで一時期かなり浮上してた時があって。
「死にたい」とか「消えたい」とか「こんな自分必要ない」とかずっと言ってた。
いじめられてなかった。親にも友達にも、恵まれていたはず。
でも、一度堕ちてしまったら、「消えたい」がどうしてか止まらなくなって。
きっと、いじめとか虐待に悩まされてる人から見たら、恵まれてることに感謝しなよって思われてる。
それでも死にたいを止められない自分のことがまた惨めで嫌いになって、負の連鎖。
そんな中で、宛メをするから余計疲れてるのかもと思って、一旦更新を止めた。
それから、宛メのことはすっかり忘れ、成長して、中学にも入った。
ふと宛メを思い返して、ログインしてみた。
自分の流した小瓶を見て、絶句した。
…何この痛い文章。
死にたいって思ってたのは、みんなが宛メで死にたがっていたから何となく合わせてみたんじゃないの?
LGBT?クエスチョニング?私の場合は「マイノリティ者になりたい」みたいな痛い思想からできた思い込みだったんじゃないの?
消えたいなんて、そんな気持ち本当は気のせいで、宛メも結局ただ自己顕示欲を満たしたかっただけだろ。
毎日付けてたイヤーマフとか、音に敏感で繊細な自分に酔ってただけ。誰かに心配されたかっただけ。無くてもきっと良かった。
そんな思い込みさえ無ければ、ただ普通に幸せを過ごせてただろ。
気持ち悪い。
病まなくなった自分は、過去の自分に対してそんなことを考えるようになった。
そして、小瓶を全部削除して、アカウントも全消しして、過去の自分を忘れる努力をした。
今の自分は完全にネガティブを脱却した、そう信じて疑わなかった。
それからまた少し月日が経ち、「死にたい」と言っていた頃に聴いていた曲を久しぶり見つけて聴いてみた。
なるみやさんの「永眠のすゝめ」って曲。100万再生もいってないけど、知ってるかな。
あの頃の私と同じように、いじめられてもないのに何か疲れちゃって起きられない主人公。
きっと、大人に「そういうお年頃だものね」って言われるのが嫌いだったんだろうな。
毎朝、意味もなく体温を測って。
無駄に免疫強い体が示す36.5って数字のせいで絶望するんだろうな。
それで結局律儀に学校に行って。なんだかんだ嫌なことは何もなく帰ってきて。
寝る前にばかりぐるぐると思考が巡るんだろうな。
なんか、その曲に、未だに救われている自分がいたんだよ。
もう「死にたい」なんて思わなかったのに。
それで気づいた。自分は、過去の自分を否定してたんだ。
死にたかったのは思い込みじゃない。あの頃は確かに辛かった。
その希死念慮を認めてくれる仲間も、表してくれる曲もある。
あの頃の死にたい自分を殺して、無理に忘れ去る必要なんてない。
確かに痛くて見てられない文章もあった。
閲覧注意が読めなくて観覧注意にしたりとかしてた。
けど、なんかそれすらも宝物で、自分が成長する糧のように思えて。
どんな自分も自分で、今の自分にも少なからず過去の自分の要素がある。
カウンセラーになりたいという夢は、変わらず持ち続けているし。
だから、どんな自分も絶対否定してはいけない。
…そんな感情が芽生えて、今とっても久々に小瓶を書いている。
この小瓶だって、多分いつかは黒歴史認定がされると思う。
けど、絶対削除しないで、って、未来の自分に伝えたい。
きっともう少し待ったら、全部宝物に変わる日が来るから。
みんなも、特に学生さんは、
自分の流した小瓶がいつか絶対恥ずかしくなる。それは覚悟しておいて。
けど、その小瓶を過度に否定するのは良くない。
「そうだよね、辛かったよね。けどね、今はこう思えるから少し気が楽だよ」とか
「この時も辛かったけど、今は別の理由で同じくらい辛いな。お互い頑張っていこうね」とか
そっと優しく肯定して、向き合ってあげられる日が必ず来るよ。
…という話。
自分もまだ中学生で、人生語るとかそんなことはできません。
けど、まあ、これからも自分の好きなようにお話しするので、
これからよろしくお願いします。